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特別エッセイ「致道館中学・高校」

2024年1月1日号 作家 佐藤 賢 一さん

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2024年1月1日号 「致道館中学・高校」
 作家 佐藤 賢 一さん

 作家なので、私にも出版社ごとに担当編集者がつく。それが世代交替が進んだようで、この数年で一気に若くなった。二十代の、いや、まだ大学を出たばかりの担当もいるが、何是となく話していると「時代は変わったなぁ」と思わされることが多い。例えば、学歴だ。出版社の社員といえば、ほぼ全員が超がつくほどの高学歴で、それは昔から変わらない。が、それぞれ名門大学に入る前はというと「中高一貫校に通っていました」というのが、今や大半を占めるのだ。
 私と同世代くらいでも、ことに首都圏や関西圏の出身者だと、中高一貫校の卒業生がいないではなかった。それでも地方出身者を中心に「地元の名門進学校を出ました」という向きが、なお圧倒的に多かった。それが今では、むしろ少数派なのだ。中高一貫校で学ばないと、難関大学に合格するのはなかなか難しくなったということだ。少なくとも中高一貫校のほうが、より有利に、より容易に、よりレベルの高い大学に行くことができるとの認識が、今や定着しているのだ。
 別な言い方をすれば、中高一貫校がない地域の子供は辛い。無論それが全てでないが、大学進学を考えている子供には、やはり辛い。なにしろ同じ大学に入るにも、何割増しかの苦労を強いられるのだ。当の子供は当たり前としか思わず、別に疑問も覚えないかもしれないが、それでも痛感するときは来る。それこそ進学して、余所に移り、そこで中高一貫校の出身者と知り合えば、自分ばかりが余儀なくされてきた苦労に愕然とさせられる。
 それは修学を終えて、就職するとなったときの判断にも、微妙に作用するだろう。就職先、というより就職地を考えたとき、中高一貫校がない地域は端から外されかねない。大半は未婚だろうが、独身を貫くとでも決めているのでないかぎり、いつか持つかもしれない子供の教育環境についても、無関心ではいられないからだ。ほとんどの場合、それはUターン就職するかしないか、出身地に戻るか戻らないかの選択になるだろうが、いくら愛する故郷でも中高一貫校がなければ、もはや一考すらされないのだ。
 子供には自分のように受験勉強で苦しませたくないと思えば、はじめから余所を選ぶしかない。それがIターン就職なら、なおさらだ。職歴があり、既婚で、子供がいる人材も少なくないが、地方生活そのものには魅力を感じていても、中高一貫校がない地域は端から目に入らないのだ。つまるところ、大学進学を志す子供たちだけではない。中高一貫校の有無は、地域の未来にとっても死活問題なのだ。そうすると鶴岡は——と考えて、暗く俯いてしまうのは、もう過去の話である。いうまでもない今、二〇二四年四月、鶴岡南高校と鶴岡北高校が合併し、致道館中学・高校が新たに開校するからだ。鶴岡は優秀な若者を多く送り出せるのみならず、その人材が帰ってこられる地域に、あるいは余所の人材にも選ばれる地域になったのだ。
 しかも致道館中学・高校は公立である。余所の中高一貫校は私立が多く、その教育費は当然ながら安くない。せちがらい話だが、そこに中高一貫校があっても、親が高給取りでなければ、子供に恵まれた教育環境は与えられないのだ。
 が、その望みが鶴岡ではかなえられる。公立なら親が普通に働いていれば、子供は通うことができる。これは魅力的だと、鶴岡にUターン就職、Iターン就職を希望する向きは確実に増えていくと私は思う。
 致道館中学・高校の開学が喜ばしいばかりだという所以だが、ただ、そのこと、今から心づもりしていなければならない。来たい、住みたい、就職したいといわれながら、うまく応えられない鶴岡では、やはり選ばれる地域にはなりようがない。