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私が暮らす街 2022

鶴岡に関する皆様からの投稿をお待ちしております。Eメール、FAX(0235-28-2449)でご応募下さい。

掲載インデックス
第259回 古き良き食と農の文化を育む 2022年12月15日号 有限会社田和楽 佐藤 澪さん

第258回 内なる豊かさを外に向ける時 2022年11月15日号 すたんど割烹 みなぐち 水口 拓哉さん

第257回 野生種に使う時間 2022年10月15日号 本町バル ハレトケ 佐藤 昌志さん

第256回 農と出会い 2022年9月15日号 鶴岡市立農業経営者育成学校 第1期卒業生 冨樫 英司さん

第255回 〝食べる〟を想像してみよう 2022年7月15日号 三井農場 三井 朗さん

第254回 CATCH THE WAVE 2022年6月15日号 blanc blanc gastropub 五十嵐 督敬さん

第253回 やっぱり農業は楽しかった 2022年5月15日号 野菜農場叶野 叶野 幸喜さん

第252回 子供たちに残せること 2022年4月15日号 キッチンfutabaオーナーシェフ 渡部 英俊さん

第251回 農を生業として生きる 2022年3月15日号 ワッツ・ワッツ・ファーム 佐藤 公一さん

第250回 豊食を未来につなぐ 2022年2月15日号 サスティナ鶴岡 代表 齋藤 翔太さん

私が暮らす街バックナンバー
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・2019年 私が暮らす街

2022年12月15日号  有限会社田和楽 佐藤 澪

第259回 『古き良き食と農の文化を育む』

 私は、父の経営する藤島の農業法人・有限会社田和楽(たわら)という会社の、2018年にオープンした産直「ふじしま市場たわらや」で働いています。小さい頃から自分の家のお米を食べ、自然が多い環境で育ったおかげか、元々食に対する興味関心は大きく、父から高校卒業記念にプレゼントしてもらった包丁で料理を楽しんでいます。
 仕事をしていると、お客様から求められる知識量は当然、私の持つ知識では及ばないのですが、吸収できることの多さにとてもワクワクします。お米の品種や特徴を知り、好きな品種を見つけること、生産者さん本人からその野菜の一番おいしい食べ方や調理方法を教えてもらうこと、圧倒的に新鮮な食材を食べられること、何よりも知らない食材に出逢うことが楽しいです。
 私はここで働く上で、田和楽で作るお米も含めた地元にある良い野菜や果物にもっと興味関心を抱いてもらい、価値を見出し、消費を促すことが大切だと思っています。
 例えば、うちのお米で私が一番好きなササニシキ。育てやすく改良された最近の品種に比べて人の手や栽培の工夫が必要なので、販売価格は上がってしまいます。有機栽培のお米やブランド米に比べて付加価値を付けにくいササニシキを、どういうPOPや紹介があれば買いたくなるか、そこを重要視するようにしています。
 また、うちの会社では米俵の製造販売もしています。米俵は昔、米袋の役割を担っていましたが、現在はお店や映画の装飾品、神社などの祭事、お祝いで送る際のラッピングとして、日本全国から数多くの注文を頂いています。
 米俵を作るには、コンバインで稲刈りをせず、今ではほとんど見られなくなった杭掛けでの乾燥を必要とするため、多くの時間と人手を必要とします。また、職人さんが藁を一本ずつ手で編みます。
 個性があって需要はあるけど、コストや手間暇がかかることから生産量が減っているものがたくさんあります。そういったものを後世に残すことの重要性をこの仕事をしているととても強く感じます。
 田和楽のお客様には関東圏の方が多く、定期的に地元の食材などを紹介しているのですが、今年初めて笹巻きを案内することが出来ました。笹巻きは鶴岡の郷土料理の中でも人気のある方だと思っていたのですが、反応にびっくり…。全く知らないという方がほとんどでした。
 しかし、想像以上の反響があり、注文頂いた方々から「美味しい! また来年も食べたい!」「友達にも送りたい!」という声をたくさん頂戴しました。県外の方々に地元の美味しいものや鶴岡のことを知って頂き、好きになってもらえた気がしてとても嬉しかったです。
 しかしこの笹巻き、私自身も食べてはいますが、近所のおばあちゃんから毎年頂いているもので、作ったことがありません。バリバリ働き始めて家事を時短せざるを得なくなったお母さん世代は、おばあちゃん世代の方々から、直接作り方を聞く時間がなく、今の子どもたち世代は、もらったり買っているところだけを見ているので、家庭で作るという感覚があまりないのかな、と思います。
 私はおばあちゃん子だったので、日中両親が仕事に行っている間に祖母と一緒に料理を作る時間が楽しかったです。中でも茄子のなべ焼きはとても美味しく、母のではなかなか満足できません(笑)ほかにも一緒に小豆を煮たり、大黒様のお歳夜に田楽みそや納豆汁を作ったり。祖母は昨年他界してしまったのですが、もっと作り方を聞いておけばよかったと、強く思います。
 私よりも小さい子たちがサスティナのワークショップで料理しているところを見ると、ふるさとの味を体験する機会があることは幸せなことで、大きな学びになっていると思います。もう10年若かったら母に参加をねだっていたでしょうね。
 現在サスティナ鶴岡に参加していることで、食の知らなかった面に気付かせてもらうことがたくさんあります。消費者から見えているのはほんの一部分に過ぎず、出荷にたどり着くまでにたくさんの人の想いがあり、大変な現実も見えてきました。
 私は、目の前にある食材だけでなく、もっと奥深くまで食について知り、より多くの方に伝えたい。そのためにもサスティナ鶴岡の活動にどんどん参加し、もっともっと素敵な会になればと思います。食の未来、この先の鶴岡を背負って立つ子どもたちのために取り組みたいです。これを読んでくださった方はぜひサスティナ鶴岡のSNSに足を運んでみてくださいね。 

【佐藤 澪(さとう・みお)さん】
 1999年鶴岡市生まれ。2018年から産直「ふじしま市場たわらや」勤務。趣味は裁縫、料理、ドライブ。

2022年11月15日号  すたんど割烹 みなぐち 水口 拓哉さん

第258回 『内なる豊かさを外に向ける時』

 幼い頃の夏の思い出といえば、帰省してきた年の近いいとこ達との海水浴。その夜に食べた西貝の醤油煮、えげしの味噌汁の磯の香り。だだちゃ豆、南禅寺豆腐、皆で競うように食べました。
 中学の頃、冬の初めの部活上がり、お腹を空かせて帰ったら、大黒様の御歳夜だった時の絶望感(笑)…。
 長い冬が終わり、春を告げる孟宗汁、秋の河原での芋煮会。
 懐メロを聞くと甦る思い出があるように、郷土料理で鮮明に連想される思い出が僕にはあります。
 同じように、季節の郷土料理を食べて童心に戻り、嬉しそうに帰っていく帰省のお客様を、店でもたくさん見てきました。また、初めて食べる鶴岡の料理に感動、歓喜し、帰っていく観光客も然り。
 私自身、板前修業で鶴岡を離れて過ごした期間がありましたが、その土地では、鶴岡みたいな「なじょしてもこの季節にはこれを食べねばね!!」っていうものはほとんどない状態で。加えて帰省した時に出されるご飯が、いつでも何を食べても美味いこと美味いこと!! 鶴岡でいつも食べていたものが実は当たり前じゃないということに気付いた瞬間でした。
 もちろん修業先では美味しいものは食べていましたが、それは料理人のテクニックによる美味しさを多く感じました。こちらでは食材そのものが本当に素晴らしく、それを前面に出すシンプルな調理法が好まれる傾向にあります。
 孟宗汁には孟宗と椎茸とあぶらげ。サクラマスだって素焼きに大根おろしと醤油。口細鰈も尾ひれに化粧塩をして焼いて醤油で。ハタハタも茹で上げるだけ。寒鱈汁もネギに岩のり。1つの料理の中で他の食材が混ざることが少なく、調理前で既に9割方が完成しているんじゃないかと思わせるポテンシャルを持っているのです。
 そしてシンプルゆえにそれらは、遙か昔から各々の家庭でそれぞれのアレンジが加えられ、作られてきたのです。例えばだだちゃ豆の茹で方一つ取っても「おらいでは、こう」「やや、おらいだば、こうだの」と会話が弾む地域はなかなかないと思います。
 他県から越してきたお客様に聞いた話ですが、近所の方と少しいざこざがあって、オンオンと文句を言ってきたそう。ある時、ふと鶴岡の食を褒めたら、その方はそれからニコニコになり、トラブルが穏やかに解決したなんてことも(笑)。
 ただ、そんな郷土料理も近年では、核家族化、共働き家庭の増加、ファミレスやチェーン店の進出などにより、食べる機会が減ってきたように思います。せっかくご先祖様が代々つないできた食文化が、今の子どもたちが大人になった時に懐かしい味として思い出すことがなくなるのでは? と心配になります。
 僕の母は内陸の人で、醤油味の芋煮なども食べてきて、確かに美味しいのですが、私はやはり、お婆ちゃんや料理人の父が作った地元の料理の方が心に残っています。皆さんのお婆ちゃんが作ってくれたあの懐かしい郷土料理が食べられなくなるというのは本当に「いだましい」ことではないでしょうか。
 そういう思いがあって、すたんど割烹みなぐちでは郷土料理を出し続けています。家庭でも食べられるものを料理屋で出すことの意義が分からなくなったこともありましたが、ある時、寒鱈汁を地元のお客様が食べて「うちのは生臭くて食わいねけど、全然生臭ぐねぇのう!!」と言ってくれたのです。「『本物』に触れると価値観がクルッと変わる」な瞬間でした。
 親が食べないものは子どもも食べないもの。まずはそこに小さな一歩目があり、積み重ねが必要だな、とその時思いました。
 まずは、若いお父さんやお母さん方に、うちや市内の和食店に行って本当に美味しい郷土料理、本物を食べてもらいたい。そして、お子さんとその美味しさを共有してほしいと思います。そして地域外の友人、知人にもぜひ「鶴岡にはこんな美味しいものがあるんだよ」と胸を張って教えていただきたいのです。
 来月のサスティナ学校では、お正月に食べたい「はりはり大根」の講座をします(受け付けは終了)。こういった機会が増えるように動いていきたいと思います。
 間もなく大黒様の御歳夜です。あの絶望感は今は全くなく、今では、お供えしたお膳の分も食べちゃう自分がいます(笑)。

【水口 拓哉(みなぐち・たくや)さん】
1980年鶴岡市生まれ。調理師学校を卒業後、伊豆(静岡県)、天童、銀山で修業し10年前に帰郷。すたんど割烹みなぐちの2代目として店に立つ。趣味は山登り

2022年10月15日号  本町バル ハレトケ 冨樫 英司さん

第257回 『野生種に使う』

 皆さんこんにちは。鶴岡市本町にありますイタリア料理店ハレトケの店主、サスティナ鶴岡メンバーの佐藤昌志です。虫の音や風に揺れるススキに、美味しい秋の味覚など、皆さんがそれぞれの今秋を楽しまれていることと思います。
 さて、私の生活サイクルに欠くことのできない山のことについて、少しお話させていただきます。
 山に生えている木というと杉を連想される方が多いかと思います。日本の林業界はとりわけ戦後、針葉樹に極度に偏重し、昔からあった豊かな自然環境が育む、多様な広葉樹を軽視し今に至ります。
 しかし、行ったことがある方ならお分かりかと思いますが、広葉樹エリアにはとてつもないパワーを感じるはずです。そのパワーとは何なのか。洪水や地滑りを防ぐ保水力。キノコや山菜、野生動物を育む生物多様性。焚き火などの燃料資源。そして何よりも季節ごとに移ろう雄大な美しさ。昔から人は山からの恩恵を頼りにして生きてきたのだと感じざるを得ません。
 私も山からの恩恵を頂戴している人間の一人です。狩猟や山菜採りです。狩猟は武器や道具で野生動物の生命を奪うという行為であるため、感情的なテーマとなり、多くの国の人たちの間で激しい議論になることもあります。
 ただ、狩猟は多くの場所において森づくりや、森の更新のために欠かせない大切なカテゴリーです。ドイツでは、狩猟は伝統的に森林官の重要な業務だとか。私もそんな志を持ちつつ、猟の時には、猪や兎、ヤマドリやキジなどの野生動物に数メートルの距離まで近づくため、自然と一体となれるように務めます。ほぼ野生動物にあしらわれていますが。何とか獲れた場合は精肉していただいています。自分で狩猟し、解体、精肉まで行った「食」は、普段ではできない体当たり食体験。自然に「いただきます」の言葉が出ます。
 山菜は、その種類ごとに生える場所が微妙に違います。湿っぽい場所。日当たりの良い場所。大きな楢(なら)の木がある場所や急斜面だったり。当たり前ですが、自分の居心地の良い場所にしかそれぞれの山菜は生えません。
 そして、その心地良い環境作りのエキスパートが農家さんです。農家さんたちの土作りは、植えようとする野菜が心地良い環境を目指している。もっと言えば、わざと居心地を少し悪くして野菜を美味しくするなんてこともしたりします。面白いですね。
 畜産業も農家も漁師も、食に関わる人たちにとって最高の先生は、先人の知恵と自然。それを感じながら働く皆さんがとてもかっこいいし、そんな人たちに付き合っていただけるのがうれしい。
 昨今人気のジビエ料理。さぞ美味しいのだろうと期待して食べると大変な思いをするかもしれません。畜産業の方が育てた牛豚鶏の方が圧倒的に美味しい。山菜も、農家さんが育てた野菜の方が全然美味しい。天然のキノコに関しては虫だらけ。
 しかしながら私は、これからもそんな食材を使っていきたい。それは昔から先人が受け継いできた技術を使っていきたいから。季節を山から感じていたいから。そして何より手間が楽しいから。山菜は干す、塩蔵する、水煮する。山菜とそれに掛ける手間は、身体が求める自浄作用なのかもしれない。やっとの思いで捕獲した動物は皮をなめして革とし、肉は全て食して、骨は出汁を取り、残りは犬たちに猟の〝ごぐろめ〟に。キノコの問題は虫だけ。味も香りも天然ものがすばらしい。
 私たちが普段いただいている肉は、畜産業の方が大切に育て、食肉処理場で屠殺され、精肉となってパッケージされています。誰かがやってくれたその全ての行程を考え、家畜に思いを馳せるなんて、思慮はいらないかもしれません。とてもセンシティブな問題なので。

【佐藤 昌志(さとう・あつし)さん】
1975年鶴岡市生まれ。1999年に「BAR CONTROL」を開業。食に関わりたいという思いから7年前に「本町バル ハレトケ」をオープン。羽黒猟友会所属。愛犬・呂色と共に山歩きの毎日

2022年9月15日号  鶴岡市立農業経営者育成学校 第1期卒業生 冨樫 英司さん

第256回 『農と出会い』

 はじめまして、サスティナ鶴岡の冨樫英司です。鶴岡市立農業経営者育成学校(通称SEADS、シーズ)という農業学校を修了し、今年度からミニトマト、枝豆、サツマイモを中心に営農を開始しました。  私は鶴岡市の栄地区で農家の長男として生まれ、地元の工業高校卒業後は約10年、地元企業で電気関係の仕事をしていました。車、カメラ、弓道、フットサル、ハーフマラソンなどを通していろんな人と関わるたびに趣味が増えていき、休日を楽しく遊ぶために仕事をしていました。今思うと休日の方が疲れていたような気がします。  特に車は某マンガの影響をモロに受け、サーキット走行やカートレースにも出るくらいにハマり、異性の影がないくらいの休日でした。  充分楽しんだ20代を経て、三十路目前でこれからの人生を考えた時、一度も地元以外に住んだことがない私は、地元を離れることも視野に入れ仕事を探していました。転職や結婚、子育てなど、大人の階段を上りながら続々と身の周りの環境を変える友人たちの姿を見ていたからです。  ただ、農業に関しては、父親からの就職祝いが草刈機だったこともあり…いつかは家を継がないといけないだろうと漠然とは考えていました。  ある日、近所で「離農者」(農家を辞めること)が出たと聞きました。近所のじぃちゃん、ばぁちゃんといえば朝から晩まで田畑にいて、何かしら作業をしていて、もはや「畑に住んでいるの?」ってくらいに働く人たち。身近なところでの離農の出来事は自分の中で大きな衝撃でした。  私は、農業に対してあまりいい思い出がなく、朝早くに起きたり、休日を潰してまで農業をするのはどちらかというと否定的。さらに農業だけでは稼げないという昔からのイメージが頭から離れませんでした。それでも離農者が出てあらためて周りを見渡した時、10年、20年後に農業をやっている人はわずかしかいないことに気づき、地元の農業について調べだしました。  そこでヒットしたのがSEADSでした。最初の印象は、新しい学校で、授業料と月謝が格安ということがうさん臭く、不安でした(今となっては申し訳ないですが)。  しかし、当時入学説明をしていたヤマガタデザインの田中さんに度肝を抜かれました。鶴岡市の離農者は年間150人もいること、肥料はほぼ海外に依存していること。そして何より県外出身者で鶴岡市に縁もゆかりもない人がこんなにも鶴岡の農業についてアツく語っていることに心を動かされ、入校を決意しました。  学校では、農業の現状から植物生理、農業技術はもちろん、農業経営についても学びました。寮では同期や後輩と農業のこと、鶴岡のこと、これまでの人生のことまで語り合いました。県外で生活したことがなかった私は、多くの刺激をもらい視野が広がりました。  様々な経験をしたSEADS。この学校での最大の財産は「人との出会い」です。単に親元就農しただけでは会えなかった、バリバリ稼いでいる先輩農家に出会い、県知事や市長とお話する貴重な機会もいただきました。このサスティナ鶴岡もその一つです。  農業と向き合うほど、食と農は切り離せないことを実感します。鶴岡市が日本初のユネスコ食文化創造都市に認定されており、出羽三山信仰をはじめとする庄内独特の食文化が世界に認められていますが、おそらく市民の多くは、知っていたとしても「だから?」と。食文化について自分の家庭でできることは多くはなく、生活様式や家族のあり方も多様化する現在、文化を受け継いでいくことは難しいです。でもこのサスティナ鶴岡の活動が一助になると信じ、その中での出会いを大切にしたいと思っています。  私の農業はまだまだ始まったばかりです。「新規就農者がなんか夢物語を語ってるぞ」なんていわれるかと思いますが、若いからこそ夢を語らせて下さい! 地元の慣れ親しんだ風景を守りたい! 極力農薬や化学肥料に頼らない栽培をしていきたい! 自分の芯は曲げず生産をしていきたいと思います。  私はミニトマトが苦手ですが、栽培はとても楽しいので作る決心をしました! 苦手な人でもおいしく食べられるミニトマトを作って、自分も克服しますよ(笑)

【冨樫 英司(とがし・えいじ)さん】
 1990年鶴岡市生まれ。鶴岡工業高校卒業後、地元企業に就職。SEADS第1期生として修了し、実家で就農。

2022年7月15日号  三井農場 三井 朗さん

第255回 『〝食べる〟を想像してみよう』

 皆さんこんにちは。「サスティナ鶴岡」メンバー、三井農場の三井朗です。私は現在、鶴岡市湯野浜近くの農場で庄内鴨という鴨の飼育をしています。
 鴨というと、青首のマガモや、真っ白な体に黄色いクチバシの合鴨を想像されるかもしれませんが、庄内鴨は「バルバリー種」と呼ばれる、中南米原産の鴨をルーツに持つ少し変わった種類の鴨。香り高い脂と濃い赤身になるように、餌の配合や飼育期間にこだわって育てています。  元々うちの農場は、戦後まもなく祖父が養鶏用のヒナの孵化場として創業しました。跡を継いだ父が鴨事業を開始し、以来直営の飲食店「ととこ」でも庄内鴨を提供しています。
 農場にまつわる最も古い記憶は小学生の頃。真夜中に叩き起こされ、トラックで山に連れられ、鶏の出荷。鼻腔をくすぐるかぐわしい香りに意識を失いかけながらもなんとか積み終え、帰宅すると朝には学校へ。鴨を始めてからは匂いも少なければ夜中の出荷もなく、ずいぶんましな環境になったものだと思います。
 ところで皆さんは鴨肉を食べたことはあるでしょうか? 「存在は知っているけど、食べたことはない」あるいは「クセが苦手で…」という方も少なくないかと思います。
私にとってやりがいの種はそこにあり、まだ鴨肉を食べたことがない人や苦手意識を持っている人に「鴨ってこんなにおいしかったんだ!」「この鴨なら食べられる!」と言っていただけた時には、この上ない喜びとやりがいを感じます。
 なかなか家庭の食卓に上がることがなく、なじみのない食材だからこそ、非日常感を味わうことができて食生活に彩りが生まれる。鴨肉はそんな魅力を持つ食材だと思っています。
 もちろんそれには地元の料理人の存在が欠かせません。牛・豚・鶏と違い、家庭で調理するにはまだまだハードルが高い鴨肉を、見事な一皿に仕上げ、食べる方に驚きと喜びを提供する。そんな腕の立つ料理人がたくさんいます。ありがたいことにここ数年、料理人や農家さんたちとつながる機会が増えてきました。
 そんな皆さんに共通して感じるのが、鶴岡の食文化を誇りに思い、大切にし、次世代につなごうとする姿勢です。自分の腕を磨くだけでなく、職種を超えて関わり、地域の食文化を盛り上げようと行動する。昨年から始まったサスティナ鶴岡はまさにそれが表れている活動だと思います。 私も秋の稲刈りの会に一度参加したのですが、これが思いのほか楽しく、子どもたちに負けないぐらい周りの大人も楽しんでいました。食に関わることの楽しさが体感として伝わったのではないでしょうか。
 さらに今年は、子どもたちがワークショップを通じて鶴岡の食について学ぶ「サスティナ学校」が開催されます。私は8月に庄内鴨の飼育体験を企画しています。
 昔は近所に庭先養鶏をやっている家や小規模な牛・豚農家があったため、ペット以外の動物との触れ合いが日常の中にあり、動物と食とが結びついていましたが、私より少し上ぐらいの世代からは徐々になくなってきました。
 普段口にする肉が、食べ物の前に生き物であったこと、工場ではなく農場で生まれたものだということを、頭では理解していても身体的な体験を通じて知る機会がなかなかありません。
 話が飛躍しますが、子どもに限らず大人も、目の前の「人・物・事」の背景について、自身の記憶を通じた想像力を働かせることが、社会の多様性を高めるための第一歩になるのではないでしょうか。ものが生まれる背景について体験で学ぶことができるサスティナ学校は、そこに貢献できる取り組みでもあると思います。どう感じるかは、大人が誘導するのではなく、子ども自身に委ね、想像力の種を提供できるような機会にしたいと考えています。
 出身地や今暮らしている街というのは、自分のプロフィールの一部でもあります。もし今自分が嫌っていたとしても、他人に馬鹿にされたくはないですよね。今後大人も子どもも一緒になって楽しみながら、鶴岡のいいところをたくさん感じられる活動にしたいと思います。

【三井 朗(みつい・あきら)さん】
 1982年鶴岡市生まれ。高校卒業後仙台市で就職し、10年前にUターン。家業の農場を継いで鴨を飼育している

2022年6月15日号  blanc blanc gastropub 五十嵐 督敬さん

第254回 『CATCH THE WAVE』

 僕の一日の始まりはまず、朝は日の出より少し早く起きて、薄暗い中、温かいコーヒーを片手に波をチェック。ジャック・ジョンソンなんかを聴きながら、東から昇る朝日と弱いオフショアを肌で感じ、素早く着替えてサーフィンを1ラウンド。
 海から上がったらそのまま八百屋や魚屋で素材を吟味し、畑に行って野菜を収穫。店に運んで家に戻る。
 だんだんと家族が起きてきて、みんなで食べる朝食は、オーガニックのサラダ、フリーレンジエッグの目玉焼き、自家製ベーコンのグリルと天然酵母のパン、オレンジジュース。家族を見送ったら、シャワーを浴びて店に出勤。そんな妄想をしながら日々を過ごしている。
 若い時は、都会や海外での生活に憧れていたが、今はどれだけ鶴岡で深く遊べるようになれるか、どう楽しく生きるかを意識している。
 この土地に暮らしていると、遊びの延長に食材が付いて回る。僕の場合はサーフィン、釣り、トレッキング、キャンプ、土遊び。海で魚を獲ったり、庭や畑で野菜やハーブを育てたり、山で山菜やキノコを採ったり。シーズンごとに、常に最高の状態の素材と出逢い、その素材の生まれ育った環境や景色を思い出しながらシンプルに味わう。そのルーティンが僕は毎年楽しみだ。
 春はワカメから始まり、山菜、マス、孟宗、月山筍、モクズ蟹など、旬の素材を美味しく食べる。それがどんなに幸福なことか。太陽からもらっているエネルギーや、海、風、山、水、森の恵みに感謝して、大切にすることで素材の価値が劇的に上がる。
 春にいっぱい採れた山菜や海藻は近所に配ったり、乾燥や塩蔵で蓄える。そして秋や冬になったら春の素材と〝逢わせる〟。海の素材と山の素材を〝逢わせる〟。季節の素材の色々な出逢いを楽しむ最高に楽しくロマンチックな食べ物遊び。
 そしてそこには面倒なことがある。採りに行く面倒くささ、料理としてひと仕事入れる手間。ただ、楽に何でもそろう便利な時代だからこそそれが粋で格好いいし、食べた時の喜びや幸せが増すのだ。
 昔の人も自然の中で遊んでいた。生きるために日々、食事、衣服や道具、住居など生活全部でそれをやっていた。今より圧倒的に物の少ない時代の生活スタイルこそ、持続可能で環境負荷の少ない生活だと思う。見習わないと、といつも感じている。
 僕はこの恵まれた地から離れたくない。ここで生まれ、幼い頃から自然と触れ合って育ち、環境の良さに気付いたのは25歳頃。そのあたりから1年を無駄にできないと考えるようになった。今の季節、このシーズンを逃すとまた1年待たなければならないなんて。ふざけんな、そんなの悔しすぎる。どのシーズンも待ち遠しく、名残惜しいのだ。
 海外、県外に美味しい素材は本当にいっぱいある。キャビア、フォアグラ、トリュフなど確かに美味しいし、高価とされている。でも地物の食材だって、味も価値も全く負けていない。コンビニの弁当やカップラーメンも身近で美味しいものはある。でもやっぱり郷土料理だろう。特別な日に食べたわけではなくても思い出にコネクトしてくる。体に染みついた、なんかそんな季節の料理が各シーズンごとにあって、食べられる環境がある。じゃあ、あとは食べるだけ。最高じゃないか。
 料理が作れるようになって良かった。そのおかげで鶴岡がますます好きになった。鶴岡をサーフィンに例えると、常に極上の波が、各シーズン色々なタイプの波がそこら中に割れている。サーファーズパラダイス。OMG
 Catch the wave go ride going off !!
 そんな感じで、素材や環境、人、文化を愛して、自然に感謝して、いっぱい食べて楽しむ。僕はそう生きたい。

【五十嵐 督敬(いがらし・よしのり)さん】
  1985年鶴岡市生まれ。blanc blanc gastropubオーナーシェフ。趣味は自然で遊ぶことと料理。サスティナ鶴岡メンバー、鶴岡食材を使った嚥下食を考える研究会会員、庄内浜文化伝道師。

2022年5月15日号  野菜農場 叶野 叶野 幸喜さん

第253回 『やっぱり農業は楽しかった』

はじめに、自分が農業を始めようと思ったきっかけですが、とにかく当時は地元が面白くなくて、早くこのつまらない場所から離れたいと、会社にも絶対入りたくないと思っていました。そこに「農業経営者」という雑誌の昆吉則社長に「幸喜、北海道行かないか」と言われたのです。自分は即答で「行く」と答え、北海道の常呂町(現・北見市)の小野寺農場に住み込みで働くことになりました。
 とはいえ、言われることをただただこなす毎日。その中で唯一の楽しみは、内地にはほとんどない、海外製の大型トラクターや農業機械。それに乗って作業することでした。
 それともう一つ、忘れられないことは大きな水害。収穫間際になっていた玉ねぎや他の野菜が一晩で水没し、湖のようになった畑を魚が泳ぐという凄まじい光景を目の当たりにしました。
 そんなこんなでいろいろ経験して地元に戻り、会社勤めが嫌なわがままボーイは、とりあえず家業の農業をやることにしました。
 家の農場は、親父からの代で、庄内では珍しい畑作専門農家でした。その当時、ジャガイモ、ニンジン、赤カブ、ウドなどを農協ではなく、地元給食、産直、飲食店、市場に出荷していました。農業を始めて22年の今、私は月山高原の山麓にある25㌶の畑で、ジャガイモをメインに、枝豆、大豆、小麦、赤カブ、ウド、アスパラガスなどを育て、野菜のお家となる土作りにも力を入れています。
 最初の10年は、まぁ農業なんて面白くない日々でしたね(笑)
 しかしある日、いろいろな農業種の人たちが集まる交流会に参加した時、「叶野さんの野菜おいしいよね。いつも食べてるよ」と何げなく声を掛けられ、何か気分の良い、うれしい気持ちになったことを覚えています。そこから農業も、庄内も、人もどんどん好きになっていきました。
 ここ数年、新型コロナという見えないものが人々を苦しめていますが、コロナの影響で給食に出荷するはずのジャガイモが10㌧ほどキャンセルになったことがありました。どうしようかと、とりあえず現状を知ってもらおうとSNSでSOSを出したら、投稿を見た庄内の人たちが一生懸命動いてくれて、あれよあれよと全て完売。あの時の感謝は一生忘れることのない、心が熱くなった瞬間でした。
 この時自分は決めました。庄内の土や地元で出たコンポスト、肥料を積極的に使い、庄内の人たちに喜んでもらおうと。自分が作った野菜で、食べた人を喜ばせたいと。
 思い返せば、こういうサイクルって自分が住んでいた北海道で、親方の小野寺さんが先進的にやっていたことなのだと。この時の経験が今に生きているし、自然災害で野菜が流されても、くよくよせずに前を向く親方を見てきたことも大きいと思います。今でもたくさんアドバイスをくれる親方に感謝しています。
 今、サスティナ鶴岡に入れてもらい、農業だけでなく、料理人の皆さんとも交流しています。我々の野菜を愛し、地元のことも愛して料理し人を笑顔にする皆さん。いろいろな意見を出し合い、やってみようと行動に移し、そして子供たちと一緒に「楽しい」を作り上げるメンバー。素晴らしいチームです。
 一生懸命な大人がいるからこそ、一生懸命な子供たちがいる。ある意味子供よりも子供な大人たち。人間は一生子供でいい。子供の前で大人ぶったことはいらない。そんな大人を見た子供たちが次世代の楽しい世の中を作っていくんじゃないか? サスティナはそれができるところだと思います。
 実は今から10年前も、この誌面に「農業は面白い」という題名でエッセーを書きました。考えてみると、あの頃の自分と今の自分って、基本変わっていないんだなと思います。変わったのは、自分の周りに素晴らしい人たちがたくさん増えたことです。
 22年経っても、やっぱり農業をやって良かったと思うし、やっぱり農業は楽しいと思えるんです。

【叶野 幸喜さん】
  1980年鶴岡市生まれ。高校を卒業し、北海道に住み込みで修行に行き、地元に戻り、家業を継ぐ。畑作専門農家で、今は新しく地元小麦を作り上げようと取り組んでいる。

2022年4月15日号  キッチンfutabaオーナーシェフ 渡部 英俊さん

第252回 『子供たちに残せること』

 4月に入り、鶴岡公園には桜が咲き、「気持ちを新たに頑張ろう」という方も多いでしょう。黄色い帽子の新小学1年生を見るとこちらも和みますね。小6と中2の娘を持つサスティナ鶴岡メンバーの渡部英俊(49)です。  「俺たちの時代は…」「あの頃は…」、このフレーズは好きではありませんが、自分の小学生時代は、磯釣り、いも煮遠足、田植え、稲刈りが学校行事として行われていました。色々な事情や要因でなくなったと思いますが、今では楽しい思い出として残っています。
 ある日私は、娘の担任の先生との連絡ノートに「食育に関して私が何かできることはありますか?」と書きました。食に携わる人間として何か伝えられることがあるのでは? 「食を通して子供たちの未来を育む」をテーマに活動しているサスティナ鶴岡だからこそできる手助けがあるのでは? と思い立ったからです。
 先生からも「ぜひお願いします」と返答をいただき、自由な発想で意見交換しながら一緒に考えました。コロナ禍の現在、子供たちの給食の時間は黙食です。机をくっつけてワイワイ話すなんてことはできない状況。本来、給食の時間は楽しいはずですが、それが奪われているのは本当に悲しいです。
 それであれば、その時間に映像を流すのはどうだろう? ということで給食委員会の児童たちとコラボ企画をすることに。子供たちの質問に、生産者、食育インストラクター、鶴岡ふうどガイドなど各分野の方々が答えるというやり取りをそれぞれ15分程度の動画にしてみました。
 「アスパラは何日でできるんですか?」「できた小麦は何になるんですか?」「メロン作りで大変なことは何ですか?」「どうしてだだちゃ豆はこんなにおいしいんですか?」「身長が伸びる食べ物はありますか?」「どうして鶴岡市はユネスコ食文化創造都市に選ばれたんですか?」など、おもしろい質問、つっこんだ質問が子供から出てきました。低学年には少し難しかったようですが、中高学年からは「いろいろ知ることができて良かった〜」「楽しい給食の時間でした〜」とうれしい反応をもらいました。
 後日、小学3年生が地元の庄内浜について学ぶ授業の講師を紹介することにもなり、由良で地域づくりに取り組んでいる齋藤勝三さん、ふうどガイドとして活動している郷守一幸さんにお願いし、庄内浜の地形や魚の特徴について教えていただきました。食に関する素朴な疑問や思いを聞く機会、それに応える場ができ、忙しい中対応してくださった先生に感謝します。
 親として子供たちに何を残せるのだろう?
 そう考えたきっかけは、食育インストラクターの海藤道子さんより紹介いただいた本「子どもが作る弁当の日」(城戸久枝著)です。子供たちが自分でお弁当を作って持っていく活動を続けている小学校の話で、校長先生のメッセージに、子供たちが食を通じて、生きていくことそのものに向き合うことが書かれていました。  お弁当作りのルールは「親は絶対手伝わない」こと。家族が普段してくれていることに感謝したり、食べ物に関心を持ったり、社会の仕組みが分かったりと、子供たちの生きていく力を育くむための入り口として「弁当の日」があるのです。この本からたくさんのヒントをもらいました。 現在、小学生向けの料理教室を大山にあるコワーキングキッチン花蓮さんで毎月開催しています。「食べることは生きること」をテーマに、いつか自立する日のために料理を楽しむワークショップです。社会に出てもコンビニはあるし、YouTubeを見て料理すれば食べることには困らないでしょう。確かにその通りです。でも、コロナ禍でなかなかできていない料理実習を通して、知識や技術を身に付けるだけでなく、地域の食にまつわる体験をし、思い出を作ってほしいのです。
 自分たちの子供時代も、今の子供の時代も、大人がルールを作ってきましたが、大切なのは自分で考え、自分の力でやること。だから今、私は自分にできることをサスティナ鶴岡での活動を通してやっていきたいです。子供たちが鶴岡のイイところを見つけ、またココに住みたいと考えてくれるような思い出を作ってあげたいと思います。
 何十年先も今の考えと変わらない「じぃじ」になっていたらいいですのう。

【渡部 英俊さん】
 1973年鶴岡市生まれ。鶴岡工業高校卒業。電気系会社を20年前に退社して起業。オーナーシェフとして腕を振るう洋食店「キッチンfutaba」(市内美原町)は今年で14周年を迎える。

2022年3月15日号  ワッツ・ワッツ・ファーム 佐藤 公一さん

第251回 『農を生業として生きる』

 生きるとは共に未来を語ること。生きるとは共に希望を語ること。サスティナ鶴岡副代表、ワッツ・ワッツ・ファームの佐藤公一と申します。団塊ジュニア、オイルショック世代の48歳です。  現在、庄内空港のすぐ近くの庄内砂丘で、夏はメロン、秋はミニトマト、周年栽培でベビーリーフ、冬は「ご立葉ほうれん草」を主な作物として栽培しています。その他には「プラチナ南瓜」、しょうが、干し大根。「真冬の食卓に彩りを!」という思いで、大根、人参、かぶの中でも黄色と赤色、2色のグラデーションがキレイなカラフル野菜を作っています。
 今は、農業の楽しさや、野菜作りのおもしろさにすっかりはまってしまいましたが、もともと実家に戻って農業をするつもりは「1mm(ミリ)」もありませんでした。
 子どもの頃、休みの日のたびに要請がある農作業の手伝いが苦痛すぎて、何とかしてその仕事から逃れるために休日も一生懸命サッカーを練習する「フリ」をしていました。
 農作業の労働力としてはほとんど役に立ったことはないと思いますが、サッカーの方は「休日練習」の「おかげ」で、チームとして東北大会出場、個人ではボールリフティングで全国大会に出場することができました(因果関係はあくまで個人の感想です)。過去の思い出は、自分に都合の良い物語として、いくらでもアップデートすることができますので。
 とにかく、農業のイメージは「キツい」「キタない」「カッコ悪い」。完全に3Kでした。私が鶴岡にUターンし「農を生業(ナリワイ)として生きていこう!」と決めた頃から、農業に対する世の中の見方が変り始めたように記憶しています。
 今、自分の親の背中を見ながら思い出してみると、朝から晩まで働いている映像しか浮かんできません。朝から晩までどころか、太陽より早く動き出し、月が見えなくなるまで仕事をしていました。
 特に母親は、寝ている姿を見たことがありません。反対に父親は、公民館で酔っ払い、「オンオン」って誰かと喧嘩していた姿を鮮明に覚えています。農家のオヤジたちは、公民館で「オンオン」っているのが私の地元あるあるです。
 世の中の農業に対する見方が変わってきたとはいっても、中身はそう簡単に変わりません。農業は基本、一に「忍耐」、二に「忍耐」、三から五までも全部「忍耐」だと思っています。夢を持って農業をすることは大切で、未来に希望を持つことはもっと大切ですが、それは一人ではできないことです。食に関わる仲間と一緒に、子どもたちの未来のために今できることから始めよう! それがサスティナ鶴岡です。「人はパンのみにて生くるものにあらず」。コロナ禍でみんな自分が生きていくだけでも大変な時期だけど、今、心の豊かさ、食の未来について考えよう! 人は誰かのためにならガンバることができるから。同じ方向を見て、同じ未来を作っていきたい! 業界も違い、個性の強烈なメンバーが「ワンチーム」になっていることが私たちの一番の強みだと思っています。
 今は多様性が大切な世の中。みんな違ってみんないい、という考え方が受け入れてもらいやすくなってきました。起業精神の高い地域の個性や価値観をコラボレーションすることによって新しいチームが生まれ、今までにない発想を共有しながら変化し続けていきたいです。そして「食」をテーマに、これからの鶴岡をもっと魅力ある街にしていきたいと思います。
 「You complete me(君がいて、私は完全になります)」。あなたにとって「You」は誰ですか? 夫、妻、子ども。親…? あなたにとってのそれが誰だとしても、人は皆、誰かのために生き、誰かにとって必要な存在で、誰かと共に生きているのです! 「食」を通して、サスティナ鶴岡の取り組みを通して、生きることの意味も考えたいと思っています。

【佐藤 公一さん】
 1973年鶴岡市生まれ。大学進学で上京。30歳でUターンして就農。趣味は映画鑑賞と読書。特技は雰囲気をつかむこと。

2022年2月15日号  サスティナ鶴岡 代表 齋藤 翔太さん

第250回 『豊食を未来につなぐ』

 皆さんこんにちは。サスティナ鶴岡代表の齋藤翔太です。普段私は、父と母が30年前に創業した日本料理店「庄内ざっこ」で調理をしております。
 小さい頃から父と母の背中を見て、自然と料理の道に進みました。高校卒業後、料理の基礎を学ぶために一度は他県に出て修行しましたが、店の移転リニューアルに併せて帰郷しました。地元の農家さんや漁師さんの元へ足しげく通い、食の魅力、生産者の思いやストーリーを伝えるべく日々、料理で表現しています。
 私たちが住む鶴岡市は、海にも山にも里にも近く、本当に豊かな食の宝庫だと思います。素晴らしい食文化や食習慣、先人から受け継がれてきた在来作物、食物の保存技術があり、そして食にまつわる多様な人のつながりがあります。
 しかし昨今、核家族や共働き、ひとり親世帯が多くなり、家族みんなで一緒に食事をとる時間や、ゆとりのある団らんなども失われつつあります。ファストフードや簡単に作れる食事に偏りがちで、お婆ちゃんやお母さんが作る昔ながらの郷土料理を目にする機会は減り、山菜の乾物や塩蔵物をもどして作る料理が食卓から消え、大事な食文化が継承されなくなってきているのが現状です。
 そんな中「私たち料理人が何かできるのでは?」「街全体で子供たちの食の親になろう‼」という思いから、鶴岡のいろいろなジャンルの料理人が主体となり、農家や漁師、食産業の企業の皆さんと共に、昨年の春にサスティナ鶴岡を立ち上げました。
 サスティナ鶴岡では、未来ある子供たちの豊かな食のため、食育や、食と農のつながりを学ぶ機能を併せ持ったこども食堂プロジェクト「TSURUOKAフードハブキッチン」を年4回企画しています。活動内容は、農家さんや漁師さんの現場にお邪魔して一緒に生産体験をして、その後プロの料理人さんと調理体験を行います。みんなで作って食べて、配膳から後片付けまで、最初から最後まで一貫して行うことで「いただきます」と「ごちそうさま」の心を養っています。
 昨年の春の会では、米農家さんの田んぼを借りて子供たち一人一人が苗を手植えし、秋に収穫もさせていただきました。毎日食べているお米のありがたみを感じ、農家さんへの感謝の気持ちが育めたと思います。調理体験では、街のお祭り料理に欠かせない郷土料理の品々、季節の食材をみんなで調理しました。
 夏の会は、いつも魚をいただいている感謝の気持ちや海の資源を大切に守りたいという思いで、早朝の海のゴミ拾いに取り組みました。その後、総勢40名で地引き網体験。取れたての生きた魚を肌で感じ、庄内浜にはいろんな種類の魚がいることを確かめてもらいました。調理体験では、一人一人が自分の手で魚をさばき、夏の郷土料理や握り寿司を体験しました。普段は切り身や調理済みの魚を見ることが多くなっていますが、魚一匹をさばいて食べることで命をいただく大切さを感じてもらえたのではないかと思います。また、食材の皮や端材なども活用することで、なるべく捨てるものを減らし大事にいただく心も伝わったと思います。
 サスティナ鶴岡では、料理人が献立や食材手配、調理指導を楽しく行い、不揃いや規格外だけれどもおいしい食材を生産者が提供しつつ楽しい農業体験を提供しています。地元の食産業企業にも協賛、協力いただいています。
 このコミュニティーと取り組みを通じて、子供たちにはさまざまな職業の人と触れ合いながら、食のありがたみや礼儀を学んでもらいたいです。この地に根差した豊かな食を体験することで、次の世代につないでいきたいと思います。そして「農業はおもしろい!」とか「漁師ってカッコいい!」「将来、料理人になるぞ!」といった、未来の食を支える、食の生業人(なりわいにん)が育つことを楽しみにしています。

【齋藤 翔太さん】
 1983年鶴岡市生まれ。高校卒業後仙台ホテルに就職し、調理師の基礎を習得。帰郷後家業に携わる。鶴岡市主催「鶴岡次世代No.1料理人決定戦」初代グランプリ。RED U-35主催「食のサスティナブルaward」金賞。