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私が暮らす街 2019

鶴岡に関する皆様からの投稿をお待ちしております。Eメール、FAX(0235-28-2449)でご応募下さい。

掲載インデックス
第235回「鳥の目 虫の目 魚の目」  2019年12月15日号 慶應義塾大学 環境情報学部 菅原 彩華さん

第234回『鶴岡で人づくりを』  2019年10月15日号 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 高木 慶太さん

第233回 『美味しく、楽しく、幸せに」  2019年9月15日号 鶴岡ふうど(食×風土)ガイド 山口 美和さん

第232回 『観光がもつチカラ』  2019年8月15日号 阿部 麻由子さん(あつみ観光協会)

第231回 『大好きな鶴岡は、自分で伝えたい』  2019年7月15日号 中野 律さん(鶴岡食文化創造都市推進協議会)

第230回 『伝える〝味力(みりょく)〟』  2019年6月15日号 郷守 一幸さん(寿司・天婦羅 芝楽)

第229回 『また戻ってきたい場所—鶴岡』  2019年5月15日号 増子 若菜さん・矢倉 有莉さん(昭和女子大学)

第228回 『鶴岡で感じる一皿の物語』  2019年4月15日号 エコール 辻 東京(辻調グループ)加納 美季さん

私が暮らす街バックナンバー
・2022年 私が暮らす街
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・2020年 私が暮らす街
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2019年12月15日号 慶應義塾大学 環境情報学部 菅原 彩華さん

第235回 『鳥の目 虫の目 魚の目』

 外内島きゅうりっていう苦い野菜が鶴岡にあるんだって—
 この言葉が転機だったと今になって思う。私の現在の軸は農業だ。普段は大学近くの農園で家庭菜園をし、季節の野菜を食べる生活をしている。週末に関東の農家さんを訪ねて農作業を体験させてもらったり、長期休みになれば沖縄などの遠方にも行ったりする。
 しかし、これほどまでに農業に興味を持つとは、ましてや鶴岡にこんなにも愛着がわくとは思っていなかった。なぜなら中学時代までの私は、将来は海外に住みたいと思っていたからだ。
 私は羽黒町の農家の家で育った。種まきや田植えなどの農作業を手伝うことが当たり前の環境で、特に収穫は楽しかった。手伝いを一度も嫌だと思ったことはなかったし、むしろ好きだった。
 受験シーズンになると、将来どんな仕事をしたいか考えるようになり、母親の影響もあってか、漠然と医療系の仕事に就きたいと思うようになった。しかし農業は私にとってあまりにも身近な存在で、日常に溶け込んでいたため、農家が職業だという感覚がなかった。加えて、農家は食べていけないというイメージもあり、自然に除外している自分がいた。
 では、どのようにして農業や鶴岡に興味を持つようになったのか? その鍵を握る冒頭の言葉は、高校時代に慶應義塾大学先端生命科学研究所に特別研修生として通っていた私が、指導者の院生・村上慎之介さん(当時)から聞いたのもの。この言葉を聞いて私は「何それ、食べてみたい」と思った。外内島きゅうりは鶴岡の在来作物の一つだということ、生産者が少ないこと、普段口にしていただだちゃ豆や庄内柿なども在来作物だということなど、驚いたと同時になぜ今まで知らなかったのかと不思議に感じた。調べるうちに自分の知らない鶴岡が面白いと思うようになり、とても輝いて見えた。
 私はきゅうりの魅力に引き込まれ、先端研での活動では、きゅうりの苦味を研究テーマにした。高校1年の終わりに出会い、翌年に生産者に通いつめて種を分けてもらって栽培を開始。3年になるころには高校の敷地に畑を作り、4種類ほどのきゅうりを栽培した。きゅうりが私の生活のほとんどを占めていたといっても過言ではない。きゅうり愛にあふれる高校時代だった。
 きゅうりに出会ったおかげで研究を発表する機会をいただき、科学を通じて県内外に多くの友人ができた。それと同時に、農業にかかわるのは農家だけではなく、研究という立場からもかかわることができると分かった。きゅうりは私に多くのものを与えてくれた。
 大学に進学し、私の日常はとても変化した。農作業をしなくなったことで生活に季節感もなくなった。そして意識しなくても農業に触れることができた鶴岡が恋しくなった。しばらくして、先生のアドバイスで大学の近くにある市民農園を借りることになった。農作業には自信があったつもりだったものの、最初の年はことごとく失敗。私が手伝っていたのは農作業の一部で、作業のタイミングや方法は全て指示されていたものだったと自覚した。菜園を始めて3年目になるが、まだまだ難しいことだらけである。
 また、家庭菜園だけで満足できない私は、ついに昨年から鶴岡に通い始めた。鶴岡ふうどガイドへの挑戦もそのうちの一つだ。
 一度県外に出て、戻ってみると、まだまだ鶴岡のことを知らないと実感する。ずっと住んでいた羽黒も同じように感じる。ただ、その中には地元の人だからこそ知っている魅力や素晴らしい情報が眠っている。それを届けたいと思い、認定試験では羽黒のツアーを提案した。うれしいことにそのツアーは企画会社に採用され、今年6月にはガイドデビューも果たした。ツアーは成功し、参加者の笑顔がとてもうれしかった。
 こうして私は、鶴岡をいろいろな角度から、いろいろな場所から見るようになったことで考え方が変化した。海外に住みたいと思っていた私は今、鶴岡に帰ってきたいと考えるようになった。私の場合は農業がきっかけで「鶴岡愛」が芽生えたが、みなさんそれぞれの鶴岡愛があるのではないかと思う。みなさんの中に眠っている鶴岡愛を少しでも刺激したい。

【菅原 彩華(すがわら・あやか)さん プロフィール】
1998年鶴岡市羽黒町出身。羽黒高校時代は慶大先端研の特別研修生として活動。現在、同大環境情報学部3年。農業についての研究会に所属し、アグリサイエンスを学んでいる。
 農業大好き。マイブームは山や川の写真を撮ること。鶴岡ふうどガイド、鶴岡アンバサダー、野菜ソムリエの資格を持つ。

2019年10月15日号 慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 高木 慶太さん

第234回 『鶴岡で人づくりを』  

 皆さんは慶應先端研をご存じでしょうか?
 私は損害保険ジャパン日本興亜株式会社の社員であると同時に、慶應義塾大学の修士課程の学生でもあります。普段は慶應先端研でバイオテクノロジーの授業を受けたり、食や農業に関する活動に取り組んでいます。
 損害保険の営業をする平凡なサラリーマンだった私に転機が訪れたのは2018年3月。会社から慶應先端研に学生として派遣するという辞令があり、私は鶴岡へやってきました。
 会社が私を送り込んだのは理由があります。鶴岡という、歴史があり、自然に恵まれ、若手の研究者や起業家が多い環境に社員を「放牧」することで、もがきながら自分自身で成長してもらう。そのことが企業の次世代を担う人材育成につながるという考えです。
 案の定、鶴岡に来てすぐに壁にぶつかりました。縁もゆかりもない土地でいくら考えても、何をしていいのかさっぱりわからなかったのです。そこで、地域のことは鶴岡の皆さんが一番よく分かっていると思い、子供の幼稚園の保護者会、趣味のサッカーチームなど色んな所で地域の方と接点を持ちました。
 私が一番興味を持ったのは食文化です。それを教えてくれたのは鶴岡食文化協議会の中野律さんでした。在来作物が大切に受け継がれ、豊かな食材が郷土料理や食文化を生んだこと、そして多くの方々が情熱を持ってかかわっていることを知り、私は食をテーマに活動したいという思いが芽生えました。
 昨年6月からはヤマガタデザイン株式会社の農業部門で農作業を手伝う機会をいただきました。これまで農業を経験したことがなかったのですべてが新鮮で、地元の方と交流できることも楽しみになっています。さらに専門知識を得たいと思い、山形大学農学部で開講されている「食と農のビジネス塾」を受講しました。この講座には若者から年配の方まで性別問わず参加しています。共通していたのは、皆さんが農業・食の分野で新しいチャレンジをしようとしていること。現状に満足せず、貪欲に教えを請う姿勢はすごいと思いました。この講座は、農業について真剣に考えるきっかけを与えてくれました。その後、得た知識や経験を生かしながら鶴岡の魅力を自分自身で発信できるようになりたいと思い、昨年11月から「鶴岡ふうどガイド」の養成講座にチャレンジ。私はしだいに、食を通して何か企画できないかと思うようになりました。
 そんな時に出会ったのが長岡太郎さん(ツルバル実行委員長)。私の活動を伝えたところ、ぜひ一緒にはしご酒イベント「ツルバル」を開催しようということになりました。これは、26の協力店舗に旬の食材を使った小皿料理と一杯の飲み物を用意してもらい、参加者は5店舗を選んで回るチケット制イベントです。イベントの企画は人生で初めて。これまで経験してきたビジネスの世界とも違う業務で、参加店やボランティアの募集などたくさんの苦労がありましたが、多くの方々による協力のおかげで7月13日に開催にたどり着きました。
 当日は予想を上回る400人以上の人でにぎわいました。人気店にできた行列で待つ間や、相席で隣になった人が会話するなど、食を楽しみながら参加者同士の交流が生まれていました。参加者からも「楽しかった」「また開催してね」といった言葉をかけてもらい、「本当に開催できて良かった」と涙が流れたのは内緒です。また、店主からは「ツルバルで初めて来店した人が、イベント後に店を使ってくれるようになった」といううれしい報告も多数いただきました。
 鶴岡に来てからの自分を振り返ると、盛りだくさんな日々だったと感じます。全くく知らない土地で、畑違いの中で、試行錯誤しながらプロジェクトを進めていく。鶴岡での取り組みは、サラリーマンが企業の中だけにとどまらず、今の社会を生きる上で必要とされる力を試される場だと思います。
 鶴岡には食以外にも、歴史、文化、自然など多くの魅力があります。これからも鶴岡の魅力を学び、私に何ができるか考えていきたいです。

【高木 慶太(たかぎ・けいた)さん プロフィール】
1984年、兵庫県神戸市出身。損害保険ジャパン日本興亜㈱に籍を置きながら慶大修士課程に在学中。家族(妻・子4歳)とともに鶴岡在住。

2019年9月15日号 鶴岡ふうど(食×風土)ガイド 山口 美和さん

第233回 『美味しく、楽しく、幸せに』  

 初めに申し上げておこう。私は食べることが好きである。
 自然と食に恵まれた庄内で生まれて、半世紀プラスαの時間をこの土地に暮らしている。結婚して家族のために台所を預かる私にとって食事をつくることは繰り返す日常で、細かいことを考えずに日々調理してきた。
 しかし家族の病気と死をきっかけに、食べられることの幸せと家族そろって食卓を囲む大切さに気づいた。
「死ぬまで美味しく食べるにはどう暮らせば良いのだろう?」。そんな疑問も生まれた。自分なりの答えにたどり着こうと「野菜ソムリエ」や「食生活アドバイザー」などの食に関する資格を取り、経験を積んだ。
 食の都、ユネスコ食文化創造都市として注目される鶴岡市。確かに何を食べても美味しく、在来作物や精進料理など自慢できるものは多い。ただ、食べ物が美味しいところなんて全国にたくさんある。
 そこで私は「鶴岡人」を推したい。雪が融けはじめると孟宗汁や笹巻。セミが鳴はじめるとだだちゃ豆。雪が降りはじめれば寒鱈汁を頭と胃袋が欲する。だだちゃ豆を食べながら、好みの品種と茹で方についてディスカッションが始まる。知らない人同士でもすぐに仲良くなれる会話だと思う。これは食いしん坊の私だけではなく、うなずいてくれる方も多いのではないか。
 鶴岡には海、山、美しい平野、豊かな水源などで採れる魚介や新鮮な野菜、米がある。そして生産者さんはみな勤勉だ。旬の食べ物で四季を楽しむ術が身体に刷り込まれている鶴岡人の食へのこだわりは、他県に自慢できるレベルだと思う。
 そんな魅力あるところだから旅行者が訪れ、海外から食文化を学びに学生が来る。鶴岡人を介して食に触れた人は鶴岡が好きになる。鶴岡だからこそ食を通して人と人がつながることができ、コミュニケーションツールになり得るのだと思う。
 私は、食にはルールがあると思う。箸の上げ下げなどマナーをわずらわしく言うつもりはない。もっとシンプルに「『いただきます』『ごちそうさま』の意味を理解し、感謝しながら食べること」「食事中は不機嫌にならないこと」。誰かと食事をする時はもちろん、一人で食べる時も意識すると気持ちがあがると考えている。調理する際にも同じことがいえる。
 食事は命をつなぐために必要不可欠なもの。人は一日3食食べる。一年で1095食、離乳食から85才まで食べたとして84年間で9万1980食。すべてが充実した食事ではないかも知れない。また、「美味しい」という感じ方は、育ってきた環境や暮らしによって十人十色でみんな違う。けれども、同じ土地で生まれ育った人は似たような思い出の味を持っている。
 時々「食に興味がない」という人と出会う。でも、思い出の味や好きなものは必ずあるはず。料理を食べると誰かを思い出すだろう。誰かのために食事をつくるだろう。手抜きでも良い、お惣菜だって外食だって構わない。食材のストーリーや料理ができるまでの行程、つくり手の想いを知ることで食生活はもっと豊かになり、楽しむことができると思う。人を想う食があって、食を想う人がいる。そんな風に考えた方が面白いし、世界が広がる。
 毎日繰り返す「食べる」という営みを、生きるためだけに続けるのはもったいない。食を楽しむことは人生を楽しむこと。楽しまない手はないと思う。
 私は自分の暮らしているところの食をもっと知りたくなり、山形大学農学部の講座を受け「やまがた在来作物案内人」の称号をいただいた。そしてその知識を活かし「鶴岡ふうど(食×風土)ガイド」に。家族のために取った資格はいつしか自分の世界を広げるライフワークになった。
 鶴岡の食を知ることで、今まで知り得なかった食に携わる人々に出逢うことができ、食を通じてたくさんの県内外の人や外国人とつながることができた。そして、前よりもっと鶴岡のことが好きになり、誇りに思えるようになった。ごく普通の主婦の私がこのように自分の世界を広げることができるとは。
 「美味しく、楽しく、幸せに」。鶴岡のことを自慢しながら、一緒に食を楽しみませんか?

【山口 美和(やまぐち・みわ)さん プロフィール】
1967年酒田市で生まれ育ち、結婚を機に鶴岡市民になる。夫と長女の3人暮らし。野菜ソムリエプロ、食生活アドバイザーなどの資格を活かし、鶴岡ふうど(食×風土)ガイドや、食文化研修のコーディネーターとして活動している。在住の大山地区では、市民向けの食文化講座を開催し、食の楽しみと郷土の食文化を発信している。
 趣味は手を動かすこと。料理や洋裁・手芸、とんぼ玉づくりなど。「美味しく食べて、ぐっすり眠れれば人生何とかなる」が家族の合言葉。

2019年8月15日号 阿部 麻由子さん(あつみ観光協会)

第232回 『観光がもつチカラ』  

 ここにいて良かった。今確かにそう感じています。今日まで私が置かれてきた環境が、そして機会や人に恵まれたおかげでそう思わせてくれます。
 16年前の夏、進路の選択に迫られた時、地元を拠点に働くことを選んでから今に至るまで、私は「観光」に携わってきました。この地に足を運んでくださる観光客のために入口を作ることが私の使命と考えますが、鶴岡ファンが増えることによって、ここに住む人の心も豊かになる、そんな力が観光にはあると信じています。
 6月18日にこの地を襲った日本海山形県沖地震。あの日、温海地域の観光地にも被害が及び、形のない被害「風評被害」も受けました。どうしてもネガティブな情報に焦点が当てられ、普段は観光情報の発信にTVやSNSを活用している私たちにとって、この時ばかりは情報社会に恐怖を覚えました。しかしそれならば「ポジティブな情報を自分たちの声で届けよう!」と、それからは、念願の温泉に浸かる人の歓喜、再開に向け着々と準備が進む旅館の様子、いつもと変わらぬお店の主人の姿など、前向きな話題を現地から発信することに全力を注ぎました。
 そこに舞い込んできたのが7月1日から全旅館の営業再開という知らせ。被害状況からみると、思ってもみなかったスピードの速さでした。例年であれば、最も多くのお客様にご利用いただくベストシーズン。予約のキャンセルという大きな被害には、行政からも支援が充てられ、対応が進められました。
 「今こそありのままの地域の姿を見てもらいたい!」。声を上げたのは、あつみ温泉の旅館や商店の後継者を中心メンバーとする団体でした。元気なあつみに泊まりに来ていただき、足を運んでくださったお客様ご自身にも、目に映った温海の姿を情報として届けるインフルエンサーとなっていただきたい、と。
 企画は、あつみ温泉が近年取り組んでいる「浴衣プロジェクト」をベースに、日帰りのお客様にも浴衣でそぞろ歩きをお得に楽しんでもらう内容。実施日まで10日というスケジュールは正直言って無謀なスケジュールとも思われましたが、できる準備はすべてやり、迎えた当日。続々と足を運んでくださるお客様の姿に、本当に救われた思いでした。ボランティアスタッフとして駆けつけてくださった方々の思いには胸が張り裂けそうでした。と同時に、ここで仕事をする自分の存在意義を見つけた気もしました。
 私が観光に携わってきたわずか十数年の間にも「観光」というものの形は変化し続けています。かつて、旅行に行くこと自体に価値があった時代がありました。そしてその場所がステータスに変わり、やがて「目的」が観光を引っ張る時代になりました。今、その場所でなければ見られない景色、口にすることのできない食べ物、その地ならではの体験が求められているのは、観光の目的がモノからコトに変わったからです。  これからはもっと具体的に、癒されたい、特別なものやおいしいものを食べて心の贅沢に浸りたいなど、「感情」が観光を引っ張る時代が来るといわれます。かわいい浴衣を着て、自然いっぱいの温泉街を歩く。体験のその先にある感動や感情は人それぞれ。素材を磨きながら、これからは心に訴えかけていこうとメンバーと奮闘中です。
 このほど私は「鶴岡ふうど(食×風土)ガイド」を受講する機会に恵まれ、日本で唯一のユネスコ食文化創造都市に認定された鶴岡の魅力を再確認することができました。受講後、私が初めて企画したツアーをガイドしたその日は、くしくもあの地震からちょうど1カ月という日。あんなことがなければ…と嘆いていたこともありましたが、ここにお客様を迎えられることがこんなにもありがたいと思えたのは、あの1カ月があったからかもしれません。
 今、ここで仕事をし、子どもを育てることができ、良かったと心から言える自分がいます。やがてここを離れる子どもたちが「鶴岡に生まれてよかった」と鶴岡ファンになってくれる日のために、私はこれからも走り続けます!

【阿部 麻由子(あべ・まゆこ)さん プロフィール】
1985年鶴岡市(温海地域)生まれ。鶴岡北高校卒業後、鶴岡市の観光バス会社にバスガイドとして9年間勤務し、結婚を機に退職。バスガイド時代に他地域の観光地や文化に触れながら、地元の魅力にあらためて気づく。
 現在、あつみ観光協会に勤務し7年目。温海地域全域の観光案内、イベント運営、キャンペーンの推進などを事務局としてサポートしている。第3期鶴岡ふうど(食×風土)ガイドしても活動。鶴岡市大山地区在住。2児(5歳・2歳)の子育て中。

2019年7月15日号 中野 律さん(鶴岡食文化創造都市推進協議会)

第231回 『大好きな鶴岡は、自分で伝えたい』  

 突然ですが、あなたは鶴岡が好きですか?
 あなたは、あなたの好きな鶴岡を誰かにきちんと伝えることができていますか?
 今こそ、私たちの鶴岡をきちんと伝えてみませんか!
 6月18日夜の、今まで感じたことのない大きな揺れ。新潟との県境、山形沖を震源地とした地震は、庄内、特に鶴岡市温海地域の沿岸部に大きな被害をもたらしました。
 地震の直後は、身内や職場をはじめ、近くの友人同士でメールや電話で安否の確認をし合いました。幸い我が家には被害がなく、余震の心配だけ残しながらその夜は眠りにつきました。
 しかし翌日明るくなって、徐々に被害の状況がTVで取り上げられると、遠方のたくさんの方から心配する連絡がありました。
 地震の翌日、温海地域に支援物資を運んだ市職員から、お世話になっている温海温泉街の酒屋さんの様子を聞きました。「庄内酒まつり」(7月6日)をひかえていたので、状況を知るために温海地域に向かいました。そこには、私の生活圏とは違った状況がありました。割れた多くの酒瓶と店内に広がる酒の匂い。屋根瓦の落ちた家や旅館…。同じ鶴岡市なのにこんなにも被害が違うのか…。
 その後に向かった大山の酒蔵さん4軒も想像以上の大きな被害でした。どちらもこれから夏の商戦時期なわけで、その心情は察するに余りあるものです。
 日が経つにつれ、寸断された温泉の供給パイプがつながれ、温海地域の各旅館に温泉が行き渡り、止まっていた羽越本線の電車が動き出し、徐々に復旧していく中、一方では宿泊施設や観光施設でキャンセルが発生。直接の被害がなかった地域でも観光客減があったようです。
 このような状況が続けば、これから観光ベストシーズンに入る鶴岡にとってダメージが大きくなります。今こそ、私たちは、「鶴岡は元気だということ」「力強く復旧、復興していくこと」、そして大好きな鶴岡をしっかり伝えるべきではないでしょうか。
 鶴岡には「鶴岡ふうどガイド」という有償の市民ガイドがいます。「ふうど」は、食べ物を表す「Food」と、食文化がはぐくまれるその土地の自然や精神文化を表す「風土」を指しています。
 日本で唯一ユネスコ食文化創造都市に認定された鶴岡の食文化を「おいしい」の一言だけで伝えるのではなく、『鶴岡って本当にすごい!』と五感で感じ取ってもらうためにさまざまな仕掛けをつくり、案内する市民ガイドで、鶴岡食文化創造都市推進協議会が養成・認定しています。効果的な伝え方を身につけるため、企画力やガイド力を高め、試験に合格した市民36名が現在、活動中です。
 これまでガイドは、定期的な県外からのツアーの企画・実施、学会等の視察の受け入れなど、県内外の方に食文化をはじめとした鶴岡の魅力を伝えてきました。企画から実践までの一連の作業を通して、知識だけではなく自分の言葉で表現することができるようになってきています。  「伝える」ということは、簡単そうで難しいことです。自分の言葉で、相手に何を感じ、どう反応してもらいたいか!言葉の選び方や企画次第で同じ素材が全く違う結果を生みます。だからこそ相手の心に響いたときには大きな効果が得られます。
 本年度、初めて高校生のガイドが誕生しました。鶴岡の高校生の多くは、進学や就職で県外に出て行きます。ただ、この子たちがしっかり鶴岡の魅力を知り、伝えることを覚えて全国に散らばるなら有力な観光PR大使です。鶴岡を紹介できるPR大使が一年で何百人も生まれるかも、と思うとワクワクしませんか。
 若者が夢の実現に向けて学びや仕事で県外に出るのは仕方ないことです。それを嘆くよりも、鶴岡の魅力を発信できる力を育てて送り出した方がいいのではないでしょうか。
 ガイド事業では、これからも歩みを止めることなく、地域の方と協力しながら鶴岡の魅力を発信していきたいと思います。一緒ににがんばろう、庄内!!

【中野 律(なかの・りつ)さん プロフィール】
1972年鶴岡市(藤島地域)生まれ。高校卒業後、東京の総合卸商社に就職。小売業者に満足できる仕入れをしてもらうため、商品の魅力の表現法や伝え方を学ぶ。20年前に鶴岡に家族でUターンし8年前から現職。
 2013年から、鶴岡の食文化の魅力を伝える「鶴岡ふうどガイド」養成を開始。ふうどガイドの活躍する場や案内件数が増えている近年は、事務局としてガイド事業をサポート。自身も積極的に食文化の勉強をしている。乾物の魅力を伝える「乾物ミライスト」としても活動中。

2019年6月15日号 郷守 一幸さん(寿司・天婦羅 芝楽)

第230回 『伝える〝味力(みりょく)〟』

 鶴岡が持っている多くの魅力に気付くには時間がかかる。
 中学・高校の頃、地元とほかの地域を比較して「あれがない、これもない、だから地元を出たい」ということをよく思ったし、聞いたものです。実際に僕も高校卒業と同時に上京しました。地元を離れてみると、刺激はたくさんあり、大好きな音楽イベントは毎週のように開催され、欲しい物も比較的簡単に見つかるように。そして何より多くの人との出会いがありました。
 でも何かが足りない? 最初にそう感じたのは上京して約一カ月のこと。無性に寿司を食べたくなったので、仕送りを待って近所の回転寿司に直行。久しぶりの生魚と寿司に歓喜…のはずが、いくら食べても満足できず。後にして思えば、魚とお米どちらにも何かもの足りなさを感じていたのでしょう。
 学生生活にも慣れ、買い物と自炊が板についてからも。
野菜を色々入れて煮込み料理を作ろうとした時、野菜から出てくるはずのうま味に物足りなさを感じたり、おでんが食べたいと大根を茹でても味が決まらない。なるほど○○の素が必要な訳だ、と18の僕は思いました。そう、根本的な素材自体の味わいが違っていたのです。
 進学や就職でお子さんが他の地域にいる方から、よくこんな話を聞きます。「この間行ったばっかりだあんさ、あど帰ってくんなやの」「せっかくだから、んめものかせでやろうど思ったら、いつものご飯がいいって言うなや」。そう! 今の僕には両方の気持ちがよくわかります。家族は地の食材をさまざまな形で食べさせてくれていたんだろうなぁ。季節や旬を感じる食事、こんなに贅沢なものはありません。
 僕はとても恵まれていました。それは飲食店の家の子だからではなく、周りの人たちが鶴岡の魅力を何気ない生活の中で感じさせてくれていたからだと思うのです。
 「特にこだわりなねぇの」が口癖の母や祖母は「地のもの」や「旬」にこだわっていました。伯母の家では「こげだものしかねぇけど」と昔ながらの地の料理を食卓一杯に振る舞ってくれました。
 東京に16年住んだ僕が鶴岡に帰ろうと思った一番の理由は、妻や子供たちにも食べさせたいと思ったからでした。お店を出さないかという誘いもありましたが、年を重ねた自分が東京で仕事に明け暮れている姿は想像できません。迷いはありませんでした。
 鶴岡に帰ることを後押ししてくれた妻には、今でも感謝しています。周りからは「今時、公務員を辞めてまで山形に一緒についていくほどの旦那ってどんな人?」と聞かれていたそうです(笑)。
 鶴岡に戻った僕は、妻からさまざまな質問を受けました。
 ・近所にある碑「敬天愛人」って何?
 ・「荘内」と「庄内」って何が違うの?
 ・学校名についてる「朝暘」って何? などなど。
 考えたことのないものもあれば、ぼんやりとしか理解していないものも。説明できないことの何と多いことか!さらに平成の大合併で、お隣だった地域まで鶴岡市になったのですから、余計わからないことだらけ。
 妻の疑問に答えられないことが恥ずかしいと思った僕は、一つ一つ調べながら答えを探していきました。そんな時出会ったのが「鶴岡ふうど(食×風土)ガイド」第一期の募集でした。鶴岡を知り直すには絶好のチャンスと思い参加を決めました。
 ガイドは生涯学習ではなく、現場に立って活動することを前提としているので、常に最新情報を仕入れ、一つ一つの活動に生かしています。
 ユネスコ創造都市ネットワークの食文化部門で日本唯一の認定都市になることができ、羽黒山や松ヶ岡が日本遺産に認定されたことも大きな要因となり、海外からのお客様も増えてきました。皆さん、庄内を満喫しようという気持ちで訪れてくださいます。僕たち地元の人は、「何もなくて」などと言わず、もっと自信を持って鶴岡を紹介したいものです。
 変わっていく鶴岡と、在来作物や郷土料理など子供たちに残していきたい守るべき鶴岡。その両方としっかり向き合いながら、今後とも活動していこうと思っています。

【郷守 一幸(ごうもり・かずゆき)さん プロフィール】
1974年鶴岡生まれ。進学を機に上京。都内の荘内館で学生時代を過ごす。家業を継ぎたいと一念発起し、赤坂と丸の内の飲食店にて修行。
 両親が経営する「寿司・天婦羅 芝楽」が50周年を迎えるにあたり、両親と一緒に祝えるようにと2008年に鶴岡へUターン。若旦那として店に立つ。
 11年 全国きき酒選手権大会 鶴岡地区予選会にて優勝。12年度 山形大学農学部が主催するおしゃべりな畑四期生として研修し「やまがた在来作物案内人」として認定。14年 鶴岡ふうど(食×風土)ガイドとして認定。鶴岡の魅力を案内する有償ガイドとして多方面で活躍中。以降2年に一度の更新試験を繰り返し、研さんを積んでいる。

2019年5月15日号 増子 若菜さん・矢倉 有莉さん(昭和女子大学)

第229回 『また戻ってきたい場所—鶴岡』  

 鶴岡を頻繁に訪れて2年。私たちは、鶴岡市と連携して活動する昭和女子大学のプロジェクト型協働インターンシップ「鶴岡ガストロノミー・フィールド・ミュージアム~インバウンドツアーの創出~」に参加しました。これは、東京の女子大生の視点から鶴岡の食文化の魅力を再発見して、その食文化を生かしたインバウンドツアーを提案するもので、学年・学科を超えたメンバーで進めてきました。
 参加の理由は「ユネスコ食文化創造都市鶴岡の食文化に興味をもった」「鶴岡の歴史・文化に関心がある」「将来自分の地元の地域活性化に貢献したい」などさまざま。最初は鶴岡について全く知りませんでしたが、鶴岡への熱い思いは、地元の方との目に見えるつながりへと高められたと実感できます。
 鶴岡全体を食文化の博物館として、内容をインバウンドツアーに組み込むために、鶴岡ならではの文化と食の体験を重ねました。ここでは私たちが7月と9月に提案、実施した、留学生を対象としたモニターツアーで生かした3カ所を紹介します。
 まず、自然の風景に満ちた宝谷です。地元産そば粉を使ったそば打ち体験、7月には深緑に染まる力強い田園風景、9月になると黄金色の稲穂とそばの花の白い絨毯、四季の移り変わりを全身で受けとめることができました。
 モニターとして訪れた留学生の一人からは「現代の日本にもこんな風景が残っているなんて!」の声が聞こえました。「そばは打つ姿勢が大事よ」と教えてくださった地元のお母さんのご指導もあり、出来立て茹でたてのそばは、不格好でも今まで食べた中で一番美味しく、留学生は世界一と言ってくれました。手作りの優しい味とともに、遠くに日本海が見える雄大な庄内平野、暗闇でポッと光るあんなにもたくさんの蛍、どこか懐かしいホッとした瞬間を留学生と共有できました。
 2つ目は、現地研修で私たちが訪れた中で最も留学生に紹介したかった、歴史や伝統と向き合う羽黒山です。
 モニターツアーでは、宝冠をかぶった山伏の格好で、日差しも強く夏真っ盛り。2446段の階段を一段登るごとに体は悲鳴を上げ、まさに修行体験でした。爽やかな木々の緑や吹き抜ける風、そして山伏の方から教えていただいた「うけたもう」という言葉に鼓舞されながら登りきり、心地よい疲れと達成感に笑顔があふれました。精進料理や山伏など、聞きなれない言葉を留学生に説明するのは思っていたより難しく、あらためてこの出羽三山の歴史の深さに感じ入りました。
 最後は、海辺の由良です。由良は現地研修で何度も足を運んだところ。由良で取れた魚介類を使い、地元のお母さんと一緒にした料理体験は魅力的でした。初めて見るトビウオに興味津々。さばくところを動画で撮影する留学生もいれば、うろこをそぐ鋭い音や血の生臭さに、魚に触れることができない留学生も。私たちが初めて体験した時を思い出しました。
 一緒に料理をしながら、はずんだ笑顔と会話が早く食べたい気持ちを表していました。モニターツアーで完成できたメニューは、トビウオのフライ、貝の味噌汁、ハタハタの湯あげ、タコ飯…。留学生にとって馴染みのない味もあったと思います。最後に「もう一度由良を訪れたい」という留学生の声は、このツアーの目標そのものでした。
 私たちが鶴岡で得たことは「人とのつながり」です。斎館の精進料理をはじめ、由良の漁師飯、宝谷そば、櫛引の果物、だだちゃ豆などの食と文化に真摯に向き合う地元の方々の姿をみると、食の伝統や文化を現代まで大切に受け継がれてきた理由が納得できました。鶴岡への愛は、東京で開かれた鶴岡市関連のイベントに参加した時にも強く感じました。
 鶴岡のことが大好きになった私たちは、その魅力を多くの人に知ってもらいたい気持ちでいっぱいです。このインバウンドツアーのコンセプトにしたのは「大切な人と一緒にまた戻ってきたい」。また鶴岡に、大切な誰かと必ず一緒に訪れたいと思います。

【増子 若菜(ましこ・わかな)さん プロフィール】
1996年福島県生まれ、昭和女子大学日本語日本文学科卒業。「将来は自分の地元である福島に貢献できる仕事をしたいと考えています」

【矢倉 有莉(やくら・ゆり)さん プロフィール】
1998年東京都生まれ、昭和女子大学食安全マネジメント科3年。「食べること全般とパンが好きなので、将来はパンの商品の企画に携わりたいと思います」

2019年4月15日号 エコール 辻 東京(辻調グループ)加納 美季さん

第228回 『鶴岡で感じる一皿の物語』  

 鶴岡ってどこ? 一体何があるの? と思ったのが、私と鶴岡の最初の出会いでした。
 鶴岡市と辻調グループは2017年に包括的連携協定を締結し、「鶴岡フィールドスタディプログラム」が始まりました。このフィールドスタディは、学校を出て鶴岡市をフィールドに生産者と触れ合い、さまざまな体験を通して「皿の外の食を学ぶ」プログラムです。この取り組みは今回で2回目となります。
 羽黒山では、山伏の野口鉄雄さんの先導で「生まれ変わりの山伏修行体験」に臨みました。東京で生活している私には正直苦行でしたが、雄大な自然に囲まれ、清々しく感じました。
 出羽三山神社の宿坊「斎館」では、伊藤新吉料理長に精進料理について教えていただきました。「一緒に調理をする前に、食材を採りにいきましょう」と向かったのは斎館の目の前の草むら。皆「食べられるものがここにあるの?」と目を丸くしていました。伊藤さんとともに草むらにどんどん入っていき、自生している山菜の赤ミズ、青ミズ、芹を収穫しました。そして採ってきた山菜はそれぞれ異なる下処理をし、保存することを教えていただきました。
 「豊かな季節にはその恵みを頂きながら蓄える、厳しい季節にはその備蓄でしのぐ」というように、風土に寄り添って生きる。聞けば当たり前の生き方だけれど、今の社会の中で私たちがそのように意識することはほとんどないと思います。本来、人はそのように自然と共存してきたのだと理解を深めました。自然の恵みを受け取るという貴重な経験で、五感を使って出羽三山の歴史を感じることができました。
 幸運なことに今回は、在来作物の藤沢かぶの焼畑の現場に立ち会うことができました。万全のアブ対策をして圃(ほ)場に向かい、見えてきたのはなんと崖!? 切り開かれた、山肌の見えるところに円を囲むように大勢の人がいました。近くで見ようと登っていきますが、斜面が急すぎて立っているのがやっと。勢いよく広がっていく炎がパチパチと音を立て、熱気で顔が焼けそうなほどでした。衝撃的な迫力に圧倒され、食い入るようにまじまじと見つめていました。
 その中で、ひときわ大きな声で走り回るおじいさんがいらっしゃいました。この方が御年76歳の生産者・後藤勝利さん。ずっと藤沢かぶを守り、作り続けています。ここで私が感じたのは継承の難しさです。体力的に大変な作業であること、高齢化の問題などがあり、作り続けていくことの難しさを感じました。一方で手伝いに来る地域の方も大勢いらっしゃいました。在来作物が注目されることで、地域の交流の場が広がっていることが分かりました。
 農家レストラン「菜ぁ」では、小野寺紀允さんに「安心安全を考えたこだわりの食材」についてお話をお聞きしました。農家レストランの武器は食材の鮮度、そして食材を最後まで自らがプロデュースできるところであると思います。自家農園で食材を収穫し、その日のコンディションによって良いものを選び、調理法も変えることができます。ロスがぐっと少なることも大きな利点です。隣の畑から採れたての食材を頂くことができるレストランなんて、あまり耳にしたことがありません。食材の味を噛み締めながら頂いた夕食は、心に染みる一皿でした。
 小野寺さんのお話の中で印象に残っているのは「地域の食材を食べていない子供は、その地域に帰ってこない」という言葉です。誰にでも、恋しくなる〝あの味〟があるのではないでしょうか。観光客だけでなく、地域のお客様もたくさんいらっしゃるのは、美味しく、安心できる味だからなのだと思いました。農家レストランはその役割を担う、地域に必要な場所だと感じました。
 ここでは書き切れないほど、鶴岡で多くの方と出会い学びました。鶴岡について無知だった私ですが、実際に足を運び、食材がたどってきた環境や食の文化、かかわっている人々の思いを身をもって感じることができました。料理を作る上で大切にするべきことを、この地で教えていただきました。そんな皿の外の背景をも伝えられるような料理人を目指していきます。

【加納 美季さん プロフィール
1994年兵庫県生まれ。バンタンデザイン研究所を卒業後、アパレル会社のインターンとして働く。食に携わる仕事がしたいと考え、2018年エコール 辻 東京(辻調グループ)辻調理技術マネジメントカレッジに入学。鶴岡フィールドスタディプログラムに参加した。将来は食材を主役にしたフレンチの料理人になりたいと考えている。