寄稿
5月1日号寄稿 「茨木のり子 六月の会」事務局 戸村 雅子さん
『言葉のプロ、天野祐吉氏 詩人、茨木のり子を語る』
今年の2月17日は、現代詩を代表する詩人、茨木のり子さんの七回忌でした。
私たち「茨木のり子六月の会」では、七回忌の節目にふさわしいビッグな人物の講演を企画しています。コラム二スト・童話作家、天野祐吉さんです。
天野さんは博報堂などを経て独立、「広告批評」創刊。2002年から松山市立子規記念博物館館長、07年から名誉館長を勤めています。絵本では「絵くんとことばくん」(作・天野祐吉、絵・大槻あかね)、「のぞく」(文・天野祐吉、写真・後藤田三朗、絵・大社玲子)などの作品があります。
天野さんは、生前の茨木さんと親しく交流されていました。06年に茨木さんが亡くなった時、各紙誌に追悼文を書いていますが、「勁くて美しい人」と題した次のような言葉が印象的でした。
「さきに石垣りんさんと別れ、こんどは茨木のり子さんに死なれて、ぼくは『ことばの恋人』を一気に二人も失ってしまった」(『現代詩手帳』)
「ことばの恋人」、美しく、胸がドキドキするような言葉です。私の敬愛する二人の詩人を、こういう言葉で悼む天野さんて、なんとすてきな方でしょう。
天野さんは、朝日新聞の「CM天気図」と題したコラムを1990年から連載しています。その愛読者である私は、読むたびに「うーん」と唸る言葉に出会います。
例えば最近の4月11日には「『負けるもんか』というホンダのCMがいい」という書き出しで、こんなことを述べています。
「この国はいま、人それぞれにそれぞれの問題をかかえて『負けるもんか』という思いを抱いているときじゃないか。そんな思いに、このCMの『負けるもんか』という言葉はまっすぐ届いてくるのだ」
毎回、短い言葉で日本の社会の動向を透かして見えるようにしてくれる語り口は見事です。大まじめに、しかもユーモアたっぷり、時に皮肉っぽく、世相をさばくその手腕は痛快です。
また、天野さんは、4月28日発行の『週刊現代』にも登場していました。鎌田慧氏と原発について対談しているのですが、その中で、政治家や官僚たちのはなすことばが「人間としての感情がこもっていない」、だから「肉声として僕らに届いてこない」と厳しく批判しています。
NHKの「ラジオ深夜便」では、有名女優さんを相手に、飄々とおしゃべりを楽しんでいたらしいのですが、私は寝たら朝まで起きないので、聞く機会を逃してしまいました。惜しいことでした。
昨年の大震災、そして原発の事故以来、日本全土を聞きなれない不気味な言葉が覆っています。メルトダウン、シーベルト、除染、汚染、がれき、放射線量など。日本社会の大いなる不幸を象徴するそれらの言葉が払拭されない限り、子どもたちの明るい未来はないとさえ思われます。
こういう時代だからこそ、真実を突く言葉、楽しく美しい言葉が求められます。今、天野さんの言葉が日本各地で引っ張りだですが、同じように明るく爽やか、生きる力を与えてくれる茨木さんの詩も新たに読み直されています。そして、私たちが「負けるもんか」と生きていくためには、私たちの生活にどういう言葉が満ち溢れればいいのでしょうか。
言葉のプロ天野さんが、詩人茨木さんを語ってくれます。またとない機会です。講演会にはぜひ多くの方に来ていただきたいと願っています。
「天野祐吉講演会-茨木のり子を語る-」は6月3日午後3時から鶴岡市中央公民館で開催(手話通訳付き)。料金は一般1000円、大学生まで500円。チケットは、ぶっくすプロほんの森、阿部久書店、八文字屋ヱビスヤ店、NHK文化センター庄内教室などで扱っている。問い合わせはTEL&FAX0235-22-7297戸村さんへ。
3月15日号寄稿 鶴岡市城南町 黒羽根 洋司さん
「『私が棄てた女』-浦山桐郎への手紙-」
私たちが住む東北ばかりか日本全土に深い傷跡を残した、歴史上はじめての地震、津波、核汚染の三位一体大災害が起きてから1年が経ちました。もちろん、1985年(昭和60)にこの世を去られたあなたは、「東日本大震災」と呼ばれることになったこの災禍を知るよしもありません。しかし、あの3月11日以降のさまざまな映像を見るたびに、私は四十数年前に刻み込まれたシーンと重ね合わせることが多くなっています。そのシーンこそ、浦山さん、あなたが私に残してくれたものでした。時間を経ても褪せぬばかりか、現在を予見するかのよう鮮烈なショットです。
私があなたとお会いしたのは1970年の秋のことでした。5年生となって大学祭を主催する役割が巡ってきた私たちは、集客の鍵となる講演会の講師の選定に苦労をしていました。実を申せば、あなたに決まったのは、大江健三郎、大島渚などにことごとく断られた上のことでした。
映画監督・浦山桐郎として生涯わずか9本の作品しか残さなかったあなたは、当時その3分の1にあたる名品を世に問うていました。とりわけ監督デビュー作の『キューポラのある街』は、17歳の吉永小百合を少女スターから女優に変身させた画期的な映画です。サユリストという言葉を生み、若者の支持を得た気鋭の監督というのが当時の評価でした。
中年以降の記憶は感光力の衰えたフィルムのようなものです。あなたが講演会で語った内容はすっかり消えているのに、講師を囲む席でポツリと吐いた言葉だけは、記憶の古層に埋め込まれていました。
「映画は、どれだけのシーンをどれだけの人が憶えていてくれるかです。たった一コマでも観る人の記憶に残っていれば、監督冥利に尽きるのです」。
あなたの製作哲学にはめられたように、私には美しい絵が残り続けています。それは、第三作『私が棄てた女』(1969年)の中にあり、このたびの震災をきっかけに、鮮明度がましています。
遠藤周作の原作を材にとったこの映画は、出世のきっかけをつかんだ男・吉岡から棄てられる薄幸の女・ミツを描いたものでした。ミツが自分の故郷である相馬を語り、背景には相馬野馬追いの旗が夕陽に揺らめくワンカットがありました。浦山さん、哀(かな)しさが漂うあの画面こそが、あなたが伝えたかったテーマではなかったでしょうか。
私には、吉岡とミツの関係が、震災で浮き彫りにされた構図を象徴しているように思えて仕方ありません。棄てる男が地方社会を蹂躙(じゅうりん)してきた中央権力を、ミツが弄(もてあそ)ばれたあげく故郷を追われる住民たちに重ねてしまいます。食糧と労働力ばかりか、電力まで貢いできた東北の歴史と姿をミツが顕(あらわ)しているようです。あのシーンこそ、天災と人災が絡み合い、多くの棄民を生んだ災害の縮図と言ってもいいようです。
浦山さん、あれから大学に残り、各地の病院に勤務した私は、最後の地・鶴岡に帰る前の5年間を相馬で過ごしました。『棄てられた女』ミツの故郷です。津波で破壊された松川浦の海岸や、放射能の危険におののく市民の映像をみるたびに、私はあのシーンに立ちかえり、また「いま」に戻るのです。騙されてはいないか、強き者が導き出した結論を押しつけられてはいないか、と問いかけ続けています。瓦礫の山と化した被災地の光景の影には、「白河以北―山百文」と卑下された長い東北の歴史がありました。何の罪もない人が、ある日をもって「被る人」になり、無数のミツを生む土壌がこの国にはあった事実を忘れてならないようです。
浦山さん、あなたが残した画像に潜む鈍い痛みを抱えながら、ミツの再生の画面を私の中に積み上げられればと願っています。
野馬追いも少年の日も杳(はる)かなる 楸邨
20代の前半、人生の一瞬に出合ったあなたの片言とワンシーンは、私を支えるものとしてこれからも大切にしていくつもりです。
12月15日号寄稿 鶴岡市双葉町 菅原 満子さん
「適度な運動のススメ『いきいき倶楽部』体験記」
7月のある朝、何気なく、ラジオ体操の放送にあわせて体を動かしてみた。すると、第2の中の片足跳びが出来ず、自分の脚力の弱さにがく然とした。そこで以前、介護予防講座で紹介された鶴岡市社会福祉協議会の企画運営による「いきいき倶楽部」を思い出し、申し込んだ。
いきいき倶楽部では「100歳まで元気で自分の足で歩こう」を合い言葉に主体的に運動を継続する。7月下旬から11月上旬まで全15回、毎週木曜日の午後から2時間、銀座通りにある高齢者交流センターで実施された。会場まではバスで送迎もしてくれる。指導の中心となるのは市社協のIさんとKさんのほか、介護士のTさん、ボランティアのTさんとMさん。そして16名の部員。
第1日目には体力測定があり、握力、ファンクショナルリーチ、開眼片足立ち、いす立ち座り、歩行速度、長座体前屈、座位ステップにチャレンジし記録しておく。加えて、全身の前面と側面を写真撮影。14回目に同じ内容を測定し、効果、変化を比較できるようにまとめられていた。
筋力トレーニングの前には、筋肉を伸ばす柔軟運動を行う。「息を止めないで自然な呼吸、気持ちよいと感じられる程度で、ゆっくり筋肉を伸ばすが、伸ばし過ぎないように緩める」と繰り返し指導をいただく。
一人ひとりが目標を設定し、それを基にトレーニング内容が明示された。無理なくやる、その部位を意識して運動することで効果が上がる。補助用具として、セラバンド、ボール、踏み台、壁面の利用などで負荷を加え、運動の量や種類も工夫されていた。時には「高原列車は行く」の歌に合わせて口ずさみながら身体表現が楽しくできたことが思い出される。運動の方法、留意点を図解入りで示した資料も分かりやすく、心配りがうかがわれた。
そして次表の「おうち体操記録表」が配布された。これを使って、もも上げ、ひざ伸ばし、かかと上げなど、8種類の運動に毎日取り組む。目標通りに出来たかどうかを○×で記入し、その日の体調や感想も書き留めておく。
各回ごとに講座もあり、具体的な内容で非常に参考になった。主な内容は、
○食事内容に必要な栄養と、おいしく食べる秘訣、「さんまの卵とじ」と「ほうじ茶プリン」の試食、食べトレ体操
○失禁の2つの原因と、それを予防する骨盤底筋運動
○理学療法士による身体機能と障害状況に応じた個別指導
○だ液腺マッサージの手順と効果
○腰痛の予防、改善のために症状の特徴に応じた日常生活の注意
○ひざ痛の対応で負担が小さい座り方
92歳のWさんは、杖をついて歩いても、いすに座ると姿勢がよく、全日程を一日だけの欠席で終えられた。また、88歳のHさんは、庭木の冬囲いを始めていると話されたことから「男結び」を教えていただいた。自宅の庭木の囲いで早速実践できたので有り難かった。Uさんからは指あそびを習った。Tさんからは太極拳の一部を教えていただいたが、残念ながら私の動的バランスの課題を痛感することになった。
各回の運動後には、ボール転がし、花かるた、文章構成、しりとりなどのゲームもあった。お茶とお菓子が準備され、和やかな雰囲気で笑い、語り合いがあり、交流が楽しかった。
さらに運動を続ける習慣づくりのために「はつらつ倶楽部」の紹介があり、再会を楽しみにしているという声が次々に上がった。いきいき倶楽部の内容が充実していたことに、達成感と感謝の気持ちでいっぱいになった。
指導の中で印象に残っているのは「何歳になっても体を動かす機能は向上することが実証されており、継続してこそ意味がある」ということ。始める年齢が遅いということは決してない。皆さんにも、足腰の筋力の維持、向上のため、適度な運動をお勧めしたい。
12月1日号寄稿 茨木のり子 六月の会 事務局長 戸村 雅子さん
ビヴァ! ウイメン〜茨木のり子を歌う〜被災者に想いを馳せながら元気に楽しく歌う
実は今年の三月五日、大震災の直前、山形市の文翔館でこのコンサートがあった。
ユーモアたっぷりのコントで幕が開く。オーっと、舞台に引きつけられる。次いで、お揃いのユニホームを着た約三十名のお姐さんたちが「女の子のマーチ」(茨木のり子 詩、木島由美子作曲)を歌いだす。「男の子をいじめるのは好き/男の子をキイキイいわせるのは大好き」
「男の子をいじめるのが好き」そうな元女の子たちは、舞台の上で威張ったり、にらんだりの振り付けで元気に歌いまくる。歌って、踊って、芝居もする一座の名前は「ファニーカンパニー」、つまり愉快な仲間である。山形市の女性グループである。
今回の演奏会のテーマは「茨木のり子の詩を歌って、おもしろいコンサートがしたい。聴きにきてくれたお客さんが、泣いて笑って元気が出るコンサートを」である。
そして、その意図が、十分発揮された元気溌刺の舞台であった。茨木のり子の詩は、楽しくユーモラスなものが多い。だから悩み多き現代を生きる人間は、彼女の詩を求める。詩は特効薬ではないが、元気が出た、励まされたという人も多い。その詩を「ファニーカンパニー」は、さらに楽しく仕上げた。
この一座を少し紹介したい。座長は歌い、かつ台本も書く指揮者、高橋直子。ユニークな発想、奇抜なアイデアで一座をリードする。作曲、木島由美子。作品は山形交響楽団で演奏されたり、自身の演奏会、CD出版と忙しい。舞台監督と朗読は平野礼子。劇団山形所属。他に役者、司会など、幾役もこなす。合唱はキラキラの女性たち。そして、こうなればピアノももちろん女性、なのだ。
私たち「茨木のり子 六月の会」は、その舞台を鶴岡の皆さんと一緒に楽しみたく、今回の演奏会となった。
ところが、文翔館での演奏会の六日後にあの東日本大震災である。ただ楽しく元気に歌えばいいということではなくなった。
茨木は一九五五(昭和三十)年に、こんな詩を作っている。
「もっと強く願っていいのだ
わたしたちは
明石の鯛がたべたいと」
「もっと強く願っていいのだ
わたしたちは朝日の射す
明るい台所がほしいと」
「ああ わたしたちが
もっともっと貪婪に
ならないかぎり
なにごとも
始まりはしないのだ」
(「もっと強く」)
この詩は約六十年も前に作られたのに、まるで、三・一一大地震と原発事故で、我慢しながら耐乏生活を強いられている被災者に呼びかけているようだ。
たくさんの命が奪われ、生活が根こそぎ破壊されたのである。食べものも、水も空気もすべてが今までとは違う。子どもたちは外でおもいきり遊べず、たくさんの人々が望郷の想いを抱きながら知らない土地で暮らしている。そういう現実を前に、言葉はどういう意味を持つのか。歌は生きることと、どう関わるのか。
だから、今回の鶴岡でのコンサートを聴いて、ただ「元気に、楽しく」なればいい、というわけにはいかなくなった。
そこで私たちは、今回の演奏会を被災された方々への支援の会にしようと話し合った。三・一一以前と、以後では茨木のり子の詩の言葉も違って心に入ってくる。被災者に想いを馳せながら「Viva! Women〜茨木のり子を歌う〜」のコンサートの準備をしたい。そしてささやかかもしれないが、収益金は被災者への義援金にする、そのためにも会場に足を運んでいただくようお誘いしたい。
輝く言葉を一つ胸に納めて今年を締めたい。弾けるようなエネルギーを感じて今年を終わりたい。それは、きっと新しい年への希望となるはずだから。
あなたの想いを、ファニーカンパニーの思いに重ねながら、被災地の人々に届けてください。
11月1日号寄稿 鶴岡市本町一丁目 庄司 秀春さん
くつろぎタイムD 「横溝正史・私の1位」
だんぜん「八つ墓村」である。
その理由は?
言うまでもなく、巨大な鍾乳洞が出てくるからだ。洞窟内を描いた地図に、それぞれの目印とともに、歌のようなものが添えられている。ひとつだけ抜粋すると?
ぬば玉の闇よりくらき百八つの
狐の穴に踏みぞ迷うな
このほかにも、猿の腰掛、天狗の鼻、木霊の辻、鬼火の淵、竜のあぎとなどがあって、この洞窟の奥深さが知られる。これに触発されて、私はスゴロクの「洞窟ゲーム」を作って大迷路に弟たちを惑わせた。
洞窟はこれくらいにして、一般論に移ろう。横溝は乱歩と違って、短編より長編のほうが評価が高いといわれる。それもトリックを駆使した本格もので、論理的に解きほぐされていく過程が面白い。横溝人気は「八つ墓村」に限らず、「悪魔の手毬唄」「獄門島」など、角川映画でなりものいりでPRされ、さらにはテレビで何度も放映されたこともあろう。「八つ墓村」は最も近代的で巧緻な計画が、古風で因習的な観念に支配されている部落の性格を、把握したうえでたくらまれている。「八つ墓村」は「本陣殺人事件」「獄門島」に続く第3作目である。
個性的な名探偵、金田一耕助が登場するのも第3回目ということになる。一字違いの金田一京助は言語学者で、アイヌ語の研究者として知られる。「本陣殺人事件」にあるように、探偵の耕助がアメリカで麻薬常習者だったとは、現在ではとても考えられない。
この戦後の本格長編第1作は、昭和21年4月〜12月「宝石」に連載された。その当時のことを、乱歩は語っている。
「この小説の美点を一言に尽くせば、論理の網の目が細かいところまで行き届き、極めて巧みに組み立てられていて、少しもごまかしがないことである」といい「クリスティーの作風に似ている」と指摘した。さらに「純日本式雰囲気において、密室殺人を描こうとした作者の意図は十分成功しており、トリックにも独創がある」と評した。日本の本格ミステリーはこれによって始まるのである。横溝の果たした役割は大きい。
私はトリックよりも、舞台のほうに関心がある。その意味で「八つ墓村」のほうを1位に選んだのである。これほどの大鍾乳洞の出てくる小説を、私は他に知らない。
私は洞窟愛好家なのである。残念なことに私の住む庄内地方には、石灰岩層がない。したがって、この小説のような大鍾乳洞に出会えるはずもない。石灰岩層のある岡山で書かれたからこそ、この小説は出来たのだろう。
10月1日号寄稿 鶴岡市本町一丁目 庄司 秀春さん
くつろぎタイムC 「江戸川乱歩・私の1位」
現在ミステリーと呼ばれている小説の源はかつての探偵小説である。江戸川乱歩と横溝正史が探偵小説の両巨頭と言っても異存はないだろう。私はこればかり読んできたのでそれぞれの「私の1位」を取り上げて、ここで論評してみたい。
まずは乱歩から―
乱歩の作品は、長編より初期の短編のほうが評価されているようだ。私もそう思う。暗号の出てくるデビュー作「二銭銅貨」、ジョークであったという「人間椅子」、裏の裏をかいた「心理試験」……等など、枚挙にいとまがない。長編のほうも読むには読めるものの、たとえば「吸血鬼」では視点の混乱≠ニいう大きなキズがあった。
それでは短編のほうの何がよかったかというと、傑作ばかりでなかなか答えられない。ただ、物理学を習った者として、その恐ろしさが感じられる「鏡地獄」を1位としたい。ストーリーは単純だ。鏡とかレンズとかに対して異常な嗜好癖をもち、どんどんのめり込んでいった男の話である。
男(彼)は両親から莫大な遺産を受け継ぎ、庭の空き地に実験室を作り、朝から晩までその中に閉じこもって、鏡やレンズの研究に没頭した。上にいて、下の部屋を覗ける、潜望鏡のようなものを作ったり、実物幻灯を作ったりした。また、彼は実験室を小さく区切って、上下左右を鏡の一枚板で張り詰めた、俗に言う鏡の部屋を作った。
このへんまでは理解できる。鏡と鏡が反射し合うために、彼が中央に立てば、上下左右に無限の像になって彼が写るだろう。
彼もここらでやめておけばよかったが、凹面鏡の恐ろしさを知ったため、なんと球体の内部を全部鏡にしたガラス玉を作った。彼はこの中に入って発狂したのである。
彼はなぜ発狂したのか? いや、それよりもまず、彼はガラス玉の内部で何を見たのだろうか?
それはとうてい人間の想像を許さないところである。球体の鏡の中心に入った人間が、かつて1人だってこの世にいたであろうか。
彼はどのような像を見たのか?
かろうじて言えることは、凹面鏡の恐怖を球体にまで延長してみるしかない。それは凹面鏡によって囲まれた小宇宙である。きわめてはならないところをきわめようとして、神の怒りに触れたのか、悪魔の誘いにやぶれたのか、とうとう彼自身が身を滅ぼしたのだ。
最後のほうは本文を部分引用したが、確かにどんな像が結ばれるのか、いくら物理学を習った者でも、にわかには想像しがたい。視点をどこに置くかで違ってくるし……どなたか解明してみてはどうか。もしかしたら江戸川乱歩賞(1000万円)がもらえるかも。